62. 環境中の「鉄」が、温暖化予測を変えるかも!?
第62回目の今回は、海が大気中から吸収する鉄に関する研究を紹介します。
経済学研究科修士2年の堀内愛歩です。
皆さんが、「鉄」と聞くと、鉄棒とか鉄パイプとか、硬くて重そうなものを想像するかと思います。でも実は、大気中にもエアロゾルと呼ばれる微粒子として存在します。この大気中の鉄が海に溶け込み、海中の植物プランクトンや海藻の光合成の材料となります。ですから、もし海へ溶け込む鉄が不足すると、海の植物が光合成を十分に行えず、大気から吸収する二酸化炭素が減ってしまいます。つまり、地球温暖化が加速する可能性があります。しかし近年、南大洋域で鉄の不足が問題になっています。
重要な役割を担う大気中の鉄。いったいどこから来るのでしょうか?これまでは、大気から海に溶け込む鉄の多くは、もともと自然に存在する鉄と考えられてきました。一方、最近の研究では、化石燃料の燃焼などによって北太平洋や北大西洋から放出される人為起源の鉄の関与も指摘されています。しかし、南大洋域での広域的な人為起源鉄の観測例はなく、どれくらいが海洋へ溶けこんでいるのかよくわかっていませんでした。
そこで名古屋大学の研究グループが、アメリカコーネル大学などと検証したところ、予想を上回る量の人為起源の鉄が大気中へ放出されていたことがわかりました。解析では、南大洋域を含む広域を航空機で観測した結果と、地球レベルで気候を計算できる全球気候モデル(名古屋大学開発のCAM-ATRAS)による数値シミュレーションとを比較。その結果、南大洋域では、人間活動由来のエアロゾルに含まれる鉄の大気濃度が、従来の推定と比べて10倍も高かったのです。
また、南大洋域で人為起源の鉄が海へ溶けこむ量も、従来の推定よりも10倍以上多い可能性も見えてきました。具体的には、海へ溶けこむ鉄の6割以上が人為起源鉄と推定されました。「自然起源鉄が主要である」という、これまでの知見を覆す大きな発見です。
さらに、将来、海へ溶けこむ鉄が大きく減少してしまう可能性も指摘されました。これは深刻です。前述のように地球温暖化が加速され、将来の気候に大きく影響するかもしれません。その減少量は多くて10%程度とされていたのに対し、今回の研究では最大で55%も減少すると計算されたそうです。二酸化炭素の排出規制などによって、人為起源鉄が将来的に減少するという予想が加味された結果です。実は、地球温暖化は今わかっているよりもっと大きな規模で、私たちに押し寄せてきているのかもしれません。
研究を行った松井仁志准教授に、お話を伺いました。
── どういった経緯で大気中の「鉄」に着目されたのですか?
大気中の「鉄」は、陸から離れた外洋域において大気から海洋に沈着すると、海洋表層での植物プランクトンの光合成に影響を及ぼすといわれています。大気微粒子のうち、生態系に直接的に影響を与える数少ない成分の1つです。我々の研究室では、5年ほど前に共同研究者が人為起源の鉄粒子を観測できる測定器を開発して以降、大気中の「鉄」を研究対象としています。
── 今回の研究を行った背景は?
人為起源の鉄粒子が観測できるのであれば、その観測を使って数値シミュレーションを制約し、人為起源の鉄粒子の大気中の分布や量を推定できるのではないか。それができれば、大気から海洋に溶け込む鉄の量も推定できるのではないか。その将来予測も可能ではないか。こういった動機で実現したのが本研究です。
── 今回の成果を通じ、今の地球温暖化の将来予測がより悪い方に修正されていく(気温上昇幅が大きくなるなど)とお考えですか?
これはなかなか答えることが難しい質問です。地球温暖化予測では、扱う過程や要素が膨大で(今回の研究対象の大気中の「鉄」以外にも、他の微粒子や二酸化炭素を含む気体成分の濃度の予測、気温・風・雲・雨などの予測、大気以外にも海洋・海氷・陸上の雪や氷・植生などの予測が重要になってきます)、それらが複雑に関係しあうことで予測が難しいものになっています。今回の研究では、この地球の気候の複雑な要素の未解明な部分の1つとして、人間活動がこれまで想定されていなかった要素(大気中の「鉄」)を通して現在や将来の気候に影響を及ぼし得る、ということを明らかにしました。人為起源の鉄が実際にどれくらい気候や地球温暖化の予測を変え得るのか。今後の研究の中で、この質問に少しでも答えられるようにしていけたらと思います。
── 先生から見た本研究の魅力を教えてください。
この研究では、これまであまり重要視されてこなかった人為起源の鉄が、実はとても大事かもしれない、ということを示しました。これまでの理解・考え方と異なる点を示していくのは、この研究に限らず、研究の面白い点の1つです。
── 苦労されたことは?
定説とは異なる新しい点を主張する場合、それに対する反発も多くなります。今回の研究でも、論文の書き方や査読に対する答え方には結構気をつかいました。これが苦労した点の1つかもしれません。
── 鉄以外に気候変動に影響を及ぼす面白い物質があれば教えて下さい。
大気中には、地球を加熱して温暖化に寄与するといわれているスス粒子(工場や車の排気などの人間活動によって放出する黒い粒子)や、逆に地球を冷却する効果を持つといわれている無機物・有機物を含んだ粒子(硫酸塩、有機エアロゾルなど)が存在しています。これらの粒子は、太陽からの光を散乱・吸収したり、雲や雨のでき方を変えることで地球の気候に大きな影響を及ぼすといわれています。このような粒子が気候に及ぼす影響は、地球温暖化予測の中でも特によくわかっていない過程の1つと考えられていて、この部分の理解を高度化していくことが求められています。我々の研究室では、このような粒子の気候影響を明らかにするための研究を進めています。
私は今回、人為的な鉄供給の減少で地球温暖化が進んでしまうかもしれないと感じ、とても驚きました。だからといって人間活動を増やし、人為起源鉄を増やせば地球温暖化が抑えられる、という単純な問題でもありません。今回は鉄に注目した研究でしたが、他のさまざまな物質、さまざまな人間活動によって、地球の未来は左右されると考えます。今後、観測事例が増え、地球温暖化や気候変動をより正確に予測できるようになることを期待したいです。
この研究について詳しくは、2022年4月15日発表のプレスリリースもご覧ください。
(文:堀内愛歩、丸山恵)
◯関連リンク
・Matsui Laboratory(名古屋大学 環境学研究科)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?