‟脱中心化″で苦しみから離れる
瞑想をしていると、いつの間にか思考が始まり、さらに怒りや喜びなど感情が生まれることもあります。このような場合、思考や感情に気づき、観察して、消えるのを待つ。つまり、その思考や感情を、判断や反応ません。自分自身から、思考、感情の距離を取ります。
自分自身から、思考や感情と距離が取れている状態を『脱中心化』といいます。
瞑想中の特別な状態では、ありません。
普段でも、苦手な人と会った時、苦手な人のことを思い出したとき、身体や頭は反応を始めます。腹が立つ。むかむかする。イライラする。いろいろな表現があります。逃げ出したくなることもあるかもしれません。
さらに「あの時ああすればよかった。」や「もし次にこんなことをされたら、こうしてやる」と。妄想が次から次に出てくるかもしれない。
この時が、脱中心化を実践する絶好のチャンスです。イライラ、むかむかにまず、気づきましょう。次に、どこが、イライラしているのか、むかむかしているのかを観察します。その感覚を判断したり、反応ません。
自分自身がイライラしている、むかむかしているのではなく、心に現れた一時的な表情ととらえます。
自分自身の一部分が、クローズアップされた状態であるととらえます。イライラしてる、むかむかしているのは、一時的で部分的であるのです。
イライラもむかむかもしては、いるのですが、自分自身はその状態を静かに観察します。感情に飲み込まれて、「あの時ああすればよかった。」や「もし次にこんなことをされたら、こうしてやる」など妄想を育てることはしません。ただただ自分自身は、静かにしています。
この状態は、天気と似ている。雨の日、風の日、晴れの日、毎日繰り返しています。台風の時期もあるかもしれません。天気が台風でも自分自身を見失う必要は、ありません。家の外は、台風が吹いているなぁと、中で静かにしているだけです。
脱中心化で苦しみ自体は、なくならないですが、その苦しみから離れることで苦しみを、育てることなく、クローズアップもすることがありません。
脱中心化する事で、物事をありのままに正しく見れるのです。