【職人の道具、例えば鍼灸師さん】
博心堂鍼灸院のいんちょです。
道具はチャチャッと使えるものを、身の周りに携えておきたい。
そんな風に日頃から思っています。
僕は鍼灸師ですが、なにも僕の仕事道具である鍼やお灸の話というばかりでもありません。
もっと日常的な食器や家具、家電などについても、同じように考えています。
おしゃれで、華美で、流行りのもの。
これらにはそれなりの魅力や良さがあると思います。
ただ、身近に携えておく道具となると、必然的にその付き合う期間はとっても長くなることがあるんじゃないかなぁと思います。
使い慣れた箸の場合、欠けてしまって新しいものを買い求めると、しばらくしっくりこない時間が続きます。
箸の微妙な長さや箸先の滑り具合。
握るところの形や塗り方など。
一つ一つを気にし始めると、いただく料理の味も変わってしまう。
いかに道具に気を取られず、馴染み良く食事ができるかっていうのは、とっても大事なことだろうなぁと思います。
僕が使っているお茶碗は、その日の体調に合わせてどのくらいご飯粒をよそってもらったらいいかという目安となってくれます。
そのサイズ感が変わるとき、さて、僕の胃袋にかなったご飯粒をよそえるようになるまで、どのくらいの慣れる時間が必要になるか。
文明の利器というやつほど、使える幅が狭い。
体の方で工夫できるものの方が、いろいろ重宝。
毎日使う掃除機なども、掃除機のヘッドの形次第で家全体の掃除の仕方が変わります。
以前使っていたものは、ヘッドが小さく四隅まで吸い込んでくれましたし、細いノズルに付け替えることで、隙間の気になるところを掃除することができました。
数年前、新しい掃除機に変えたことで、フローリングはきれいになるのですが、ヘッドが大きめで細かい四隅が吸い込みづらい。
結局、気になるところは人の手で拭き掃除することになるわけですが、これがとても行き届く。
家中全部を毎日拭き掃除するのは難儀ですから、気になるところだけそうして人のカラダを工夫して、どうにかこうにか用を足すことができる。
便利さは特化するほど使える幅が狭くなるっていうのが、テクノロジーのジレンマですかね。
万能っていうものは、僕の周りではちょっと見当たらない。
患者さんが保温調理できる便利鍋を購入したそうです。
煮物ばかりでなく、ご飯が炊けたり、自宅でチャーシューなども作れるみたい。
でも、買ったはいいけど、毎日ご夫婦二人分の調理に連日、便利保温鍋を使いこなすこともなく。
結局、保温する間も場所をとるし、おいしく料理をしてもらうにしても一長一短があるのだとか。
そんなわけで、道具に頼るというよりは、体の一部のような携えとしておきたいな、と思うようになるわけです。
話を僕の仕事に移してみれば、僕の鍼施術の方法が変わるたびに、携える道具を変えてきています。
開業当初は接触鍼というやり方で10年ほど、妊婦さんや赤ちゃん、子供ちゃんを中心に、脈診という見立ての技術を使って臨床に取り組んできました。
それ以後、自分の手のぬくもりを補うために、棒状のお灸を使ってみたり、煙が出るからと別な温灸を試すようになったり。
最近では、衣服の上から施術できるように、金属のプレートを手に握りながら、「さする鍼」という手法で鍼を刺すことなく、手でさすりなでるような手技と道具に変わっています。
東日本大震災以降、この10年ほどの間に鍼施術を受けに来られる患者さんの中に、ココロを患ったり負担を感じる方々がずいぶん増えました。
僕が手軽に技術を施せるようになることで、患者さんたちのココロの声と向き合いつつ、カラダの声にも耳を傾けやすくなるような、そんな技術体系になってきているというわけですね。
考え方や用い方が変われば、その都度道具を変えていく必要もあるのでしょうが、その都度、一番しっくりくる道具を携えておきたい。
ま、鍼灸師さんとしての僕の考えですが。
最後までお読みいただきありがとうございます。