2024年 私の10大ニュース
一生に一度きりだよね、という経験が一気に押し寄せてきた最低で最高な年でした。
順位は付けられませんが10個書き出してみます。
よろしかったらお付き合いください(*´σー`)
1)Senri Oe Trio 年越しライブに参加する
おしゃれなジャズクラブも初めて。
年越しライブも初めて。
夢の様な一夜を過ごさせてもらいました。
Trioでのこの距離感、好きだなぁ!
2)能登半島地震で家に帰れず
元日の午後、ライブの余韻に浸り高速バスに揺られうとうとしていたら、その時が来ました。
車中の全スマホから一斉にアラームが鳴り響き、これから襲ってくるかもしれない揺れに身構えていました。
異様な緊張感。
状況がつかめないままバスは走り続けましたが、被害状況が確認出来ないのでこれ以上県内には入って来るなと連絡があったそうで、また東京へとUターン(涙)
通常は車内での通話は禁止だけど、緊急事態なので特別に許されました。
父と息子らに連絡。
家が壊れるかと思うくらい酷く揺れたとの事。
帰るまで心配でたまりません。
3)父が亡くなる
辛く長い時間だったけど、振り返ってみると人ってこんなにあっけなく亡くなってしまうものだと虚しさがつのりました。
「この前じいちゃん(父)が倒れて救急車で運ばれた。でも今は大丈夫」
「なごみに余計な心配をかけたくない」と
、過去3回倒れた時は母からはいつも事後報告だった。
でも4回目の今回は違った。
翌日、市内の総合病院に連れて行った。
聴診器を当てる医師の顔が強ばるのが分かる。
検査室に回るたび父は徒歩から車椅子へ、さらにベッドに寝かされ頭を上げる事すら許されなくなってしまった。
そのままストレッチャーで大きな病院へ救急搬送。
点滴に繋がれた父の手は震えていた。
身ぐるみ剥がされ病衣になった父は、本人の意思さえ聞かれぬまま手術室へ入っていった。
そのままもう家に帰る事が出なくなるなんて誰が想像しただろうか。
その2ヶ月後、父はご遺体として家に帰ってきた。
今でも思い出す場面がある。
面会手続きを済ませナースステーションに上がると、すでにカウンター脇に父が車椅子に座っていた。
父はまだ私の姿に気づいていない。
力なくぐったりとうなだれている。
その日は面会して10分で「疲れた」と病室へ帰って行った。
意識がしっかりしている状態で話した最後の日でした。
最後まで私に「ばあちゃんの事頼んだぞ」と、父は自分の心配をよそに母を気にしてしていたのを忘れない。
4)母が大動脈狭窄症で入院手術をする
夫婦でこんな近々に同じ手術をするなんて珍しいですとお医者さんは言ってました。
父が手術をした同じ病院、同じ病棟。
医師も看護師も父の事を覚えていてくれました。
父が亡くなる前、母にポツリと言った言葉があるそうです。
「ばあちゃんを一人残しては行けない。一緒に連れていく」
カテーテル手術は難しくないと説明を受けていましたが、0.1%の確率でしかならない症状に母はなってしまい手術中血圧が低下して危険な状態になってしまいました。
入院も1ヶ月延びてしまいました。
お母さんはまだそっちに行かせないからね。
お父さんごめんね。
5)兄と急激に仲良くなる
子どもの頃は寄って触ってはケンカばかりの兄妹でした。
大人になってまではさすがにケンカはしませんが、積極的に関わりもせず話も特にしませんでした。
が、父の事があってからはいっぱい話もしたし事細かに連絡も取り合いました。
今年一番数多くLINEしたのは断トツで兄です。
父の具合が悪くなってから、母に「兄妹でケンカだけはするなよ」と言われてきました。
治療の事、介護の事、葬儀の事、遺産の事、一つもこじれず話し合い出来ました。
同じ価値観で育ててくれた父と母に感謝です。
家族は一生の宝と身に染みた1年でした。
(実は私はブラコンだったのかと小恥ずかしい事に気づきました)
6)エガちゃんねるにハマる
抱かれたくない芸人No.1を死守(?)していた江頭2:50さん。
ぶっ飛んでヤバめな芸人さんの記憶が強いです。
ところがそのイメージをひっくり返したのが「エガちゃんねる」です。
すごく優しいし真面目だし、ブリーフ団とのやり取りがほっこり温かい。
時々お下劣な発言や行動もありますがそこはご愛嬌。
すっかり日常生活の癒しになってます。
↑↑↑こちらの回↑↑↑
松月氷室の4代目マスターが大江千里さん(64ちゃい)に似ている気がしますがいかがでしょう?
動画の所々に登場してきますので観てみてね。
7)長男の結婚式が幸せ過ぎた
「車椅子でもいいから必ず出席する。リハビリがんばる」と言っていましたが、父は力尽きてしまいました。
式の日取りが決まった時はまだ元気だった。
招待状の宛名も父の名前が書いてあるまま。
「じいじの宛名は消したくない」と、あえて父宛ての封を渡した長男夫婦です。
天国で喜んでいることでしょう。
温かくて幸せで、リハーサルから号泣してしまいました(嬉し涙です)。
自分たちの結婚式より幸福感いっぱいになりました。
8)夫が全国優良警察職員で表彰される
全国から131名の警察官が表彰で招かれました。
大変栄誉ある賞を頂けるなんて思ってもいませんでした。
夫の努力がこのような形で報われて私も嬉しかったです。
父にも報告出来たら良かったのにな。
私も貴重な場に同伴させてもらって感謝してます。
その後は新聞の取材を受けたり、本部長に報告したり、夫は忙しくしていました。
新聞やネットニュースに載ると、それを見たたくさんの方々からお祝いの言葉をいただきました。
高校の恩師からの連絡が嬉しかったです。
9)私も仕事がんばった
がんの手術をし1年間自宅療養した後、以前勤めていた職場に再び拾ってもらい2年目になりました。
年明けすぐにPCシステムが変更になり、通常業務+研修で出勤時間が増えて体力ヘロヘロになりましたがなんとか習得しました。
1日平均4~50件の電話を受けます。
一つ一つ丁寧に、家族だと思って応対します。
仕事は楽しいです。
10)夫婦でクッキングを楽しむ
ガン手術後じわじわと体質が下降し、良くも悪くもならず低空飛行しております。
食事制限がないのは幸運な事ですが、そうならないように食事には気を使っております。
私はのんきに構えていますが、ありがたい事に夫がいっぱい心配してくれています。
今まで一切料理をした事がない人なのにレシピ本を買い集めて、一品一品不器用に丁寧に作ってくれます。
台所に二人立つには狭すぎるので、場所を取り合うように時間を替えてごはん作りをしています。
それぞれの好みで作るので、いろんな味が楽しめて食卓は豊かになっています。
人は最後に残る欲求や楽しみは“食べる”なんですよね。
番外編)夫婦で外食を楽しむ
家での食事もいいけど、たまにはね。
でも実は豪華な外食より、質素な自炊ごはんが心落ち着いて美味しいのです。
撮りためていた外食画像を無事にnoteに納めました。
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