初めての原稿料は1500円だった
作文が大の苦手だった。
書き出すのに、授業の最初の10分以上は悩む。
一向に筆が進まない。
やっとの思いで頭の中で内容を順序立て、乱雑に書きなぐる。
文字数稼ぎに、クドクドと説明じみたことを書いたりもした。
「なごみさんの作文は盛り上がりに欠けますね」って、小学校の担任の先生に言われた。
本人もそう感じているので、そう指摘されたところでなんとも思わなかった。
興味のない事柄を文章で表現するのが苦痛だと感じた学生時代だった。
***
23歳の時だった。
私は小さな命を助けられなかった。
行動力も判断力も幼かった私は、残酷な決断をしてしまう。
償いたかった。
捨てられた小さな命を助けられなかった悔しさ。
私も同罪なのかもしれない。
不特定多数の人たちに、私の思いを伝えたいと思った。
今こそインターネットがあるけれど、当時、それは新聞の読者投稿だった。
━1994年12月3日(土)新潟日報「ホンネ交差点」掲載━
数週間後、私の投稿に対して反論が載った。
「去勢をメスだけに強いるのはおかしい」と。
文章の一部分だけをピックアップして反論された。
伝えたかったのはそこじゃなかったんだけどな。
けれど、私の投稿を読んでくれて、何かを感じて、ペンを取ってくれた人がいるんだと思うと嬉しくなった。
後日、新聞社から1500円分の定額小為替が届いた。
但し書きは「原稿料」。
私の文章が認められた気がした。
けれど、小さな命を現金に引き換えることを私自身が許さなかった。
今でも定額小為替を持っている。
言葉には魂がある。
文章は言葉の羅列ではない。
文章は人の気持ちを動かす武器になるんだと、なんの取り柄もない私は自信を手に入れた。
心が揺すぶられる出来事が起きると、筆がスラスラと進む。
━2000年4月23日(日)新潟日報「窓」掲載━
ちょうどこの頃i-modeサービスが開始され、表現の場が一気に拡がった。
私は夢中になった。
書く気力が続く限り、下手なりに表現していこうと思う。
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おこがましいけれど、プロになりたいかというと「私はなれない」と思う。
文章力も表現力もだけど、興味のあることしか書けないんだもん。
気の向くまま、好きな時だけ書くから楽しいのだと思う。
「おもしろい文章書く人だね」って思ってくれる人が一人いるだけでいい。