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『推し、燃ゆ』を読んだ

縁があって『推し、燃ゆ』を読みました。
不思議な作品だったなと思います。
感想を書きます(※ネタバレ注意)

主人公は推しをひたすら推すことで自分を満たしている少女でした。基本的にその子視点で物語がえがかれています。

彼女はの視点は、「第二の誕生」と言われる思春期の発達課題に思い悩む青年のそれであり、人と同じように生きることを常に要請されている反面人と同じようにできない生きづらさを抱えた人のそれであり、恋人や親しい友人をつくる生き方とは一線を引いて、ひたすら推したいものを推すために時間やお金を遣う、「今どき」の若者のそれでもありました。

私もそれらの視点で描かれる話を読みながら、共感したり驚いたり、似たような口調の身近な人を思い浮かべてみたりしました。

そんな彼女が最後に綿棒ケースにぶつけたのは今まで自分自身への怒りとかなしみでした。

「推し」が「人」になった瞬間に、他人の生活を羨む感情が出てくる様子には、『更級日記』の最後で仏道修行に励んでこなかったことをいたく後悔していた菅原孝標女の様子が重なりました。まさか平安時代と現代がこんなところでも繋がるとは。

しかしこの作品は彼女の後悔で終わりませんでした。推しを生き甲斐にしていた自分を自分自身で弔って、起き上がって進もうとしているところで終わります。

学校やバイトなど、自分自身の「生活」と「推し活」が分裂し、「推し活」に極端に比重が占められていって、もう戻れないんじゃないかと思っていましたが、最後の場面で「生活」が戻っていくような印象を受けました。
それが彼女にとって良かったのかどうかは分かりませんが。私はなぜか安心しました。「おかえり」と思いました。

読み終えた時、裏表紙が彼女の「推し」だった人のメンバーカラーだったことに初めて気づき、なんとも言えない余韻を感じながら本を閉じました。

おわり

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