『伊勢大橋』と『都まんじゅう』
本日も、なぐなぐツーリスト(なぐツー)のツアーに参加いただき、ありがとうございます。愛知県民のオイラがお届けする、近場散歩シリーズ。
愛知県(小原)・岐阜県(大桑)と来れば、次は三重県ですよね。今回は、三重県は桑名をご案内いたしまーす。 (^^♪
集合は、無料の「七里の渡し公園」の駐車場に、朝10時で、お願いします!
今回は、舗装路を歩きます。街ブラです、社会派です(笑) ブラタモリではなく、ブラなぐ。歩きやすいスニーカーのご用意を、
えっ? そっちへ歩くの?
はい、なぐツーは逆に向かいます(笑)
九華公園(桑名城址)、六華苑(諸戸邸)、七里の渡し、これでもかと数字が並ぶ名所旧跡群に向かうヒトビト。我々はその流れから離れ、堤防を上流に向かって歩きます。
新春の早朝、風もなく陽光も柔らかで、なんてことない河原の道を歩いていてもウキウキしてくる。
おっ、遠くに見えてた、伊勢大橋が徐々に大きくなってきた。
あの~ どこへ、いくの?
伊勢大橋へ行くの
えっ? 橋が目的地なの?
そう
見納め
「伊勢」のイメージは、伊勢神宮ですよね。ところが、桑名も「伊勢国」なのだ。明治維新直前までは、対岸の愛知県の一部(現弥富市)まで「伊勢国」だったようだ。へ~
ということで、桑名にあるのに、この橋の名前「伊勢大橋」なのだ。そして、この揖斐長良川に架かる伊勢大橋、80年前の建設当時は日本一長い橋だったのだ。しかし、寄る年波には勝てず、新しい橋が、真横に絶賛建設中だ。
はーい、橋を歩きますよ。対岸の愛知県方面に向かって歩くよ。
橋の端を歩こうね。
痕
伊勢大橋の対岸は、あの長島スパーランドで有名な長島だ。いや、遊園地だけじゃなく、城址(長島城)もあるんですよ。織田信長の次男(信雄)の居城にもなった。でも本日は、そこまで行きません。
残念! (by 波田陽区)
橋の端で立ち止まる。
上を眺める。
探し物は何ですか~
見つけにくいものですか~
鼻歌がとまる
・・・
やはり、実物を見ると、無口になる。
探し物は、アメリカ軍、機銃掃射の弾痕だ。
愛知県と三重県を結ぶ幹線道路、アメリカ軍は、この重要な橋を破壊しようと爆弾を投下したが失敗。いまは、ちいさな弾痕が6~7か所残るのみ。
だが、投下された爆弾は、
橋の袂に残っていたのだ。
現在も、東京と大阪を結ぶ幹線である「国道1号線」
その橋に、弾痕が残り、不発弾が眠る。
戦争が終わって何年たつんだろう・・・
この橋も、もうすぐ解体される。戦争遺構(弾痕)も見納めだ。
なぜ?
この橋が、米軍に狙われたのか?
理由は、これです。
多部未華子の歌(CM)でおなじみ
ベアリングって、ご存知ですか?
知らない方は、NTNのホームページを見てみよう。
ジブリ映画「風立ちぬ」で描かれた
ゼロ戦の工場は、愛知県にありましたよね~
そして、その戦闘機に欠かせない部品「ベアリング」の工場(NTN)が、七里の渡しの対岸である、ここ桑名にあったんです。
そして、そのベアリングを運ぶ幹線道路が・・
そう、伊勢大橋 なのだ
鋳物
今回は、社会派なぐなぐ
もうちょっと、語ります。
桑名は、鋳物の街でもある。平日ぶらぶらしていると、真っ赤なドロドロの鉄を、グアーっと、型にはめている風景に出会うことがある。
鋳物が盛んだったことが、鍛造、そしてベアリング産業に繋がるんです。
そしてそして、なぜ鋳物が発展したのか?
このおじさんのおかげです。
山田裕貴。じゃない、初代桑名藩主、本多忠勝です。
はぁはぁ
ということで、
強引に「どうする家康」ネタにした、なぐツーでした(笑)
家康の家臣である本多忠勝。鉄砲(銃身)を造らせるために、鋳物産業(武器産業)を奨励した結果が、第二次世界大戦で橋が標的になった、って、ハナシでした。
経糸と緯糸で織物になるように、歴史と地理が複雑に絡み合って、紡ぎ出す文化を味わう。タビの醍醐味だ。
おみやげ
桑名に来たらお土産に「都饅頭」をどうぞ
桑名市内の、和菓子屋ならどこでも売ってるはず。
こしあんと、表面のゴマが特徴。(なごやんは、しろあんだよ)
全国どこでも売っていると思っていたら、桑名周辺だけの銘菓であった。面白いのは、対岸の愛知県弥富市でも西側(旧伊勢国)では、都饅頭が売られていることだ。(なぐなぐ調べ)
こんなところにまで、江戸時代の名残があるって面白いよね。
ー 都饅頭 ー
鋳物の街の、いいもの紹介でした。
最後の ダジャレは不発・・
だれか~ 不発弾処理を・・
(おしまい)
ー 寄り道 ー
九華公園(桑名城址)近くで、都饅頭を買うならココ
花乃舎
上記Wiki写真とは、趣の異なる都饅頭が、手に入ります。
ところでなぜ、桑名で「都」なのか・・
ご存知の方、教えてください!
◇◇
オイラの記事で消化不良のアナタ
桑名をもっと歩きたいアナタに、おススメ