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ストーリーで売る時代に造り手が考えるべきこと、を考えてみた

生産者が生み出す製品の性能・品質・価格に根差した製品経済。そしてそれに続いた顧客便益志向のサービス経済。この次にくる経済価値として、経験経済や感動経済という言葉が使われるようになってすでにしばらく経ちます。

経験経済、感動経済と言われる経済価値においては顧客は製品を買うのではなく、その製品の購入を通して経験できる感動や体験を買うのだと言われています。

こうした経済価値の変遷に伴って、製品そのものよりも、その製品に追随する物語、ストーリーがより重要な意味を持つようになりました。モノがあふれる今の時代、似たような製品はいくらでも作れますし、世の中にはそうした差別点を見つけることの方が難しいようなモノが一つの棚、一つの画面の中にいくつも肩を並べて置かれています。こうした中でその製品を売っていくためには、製品の直接的な機能、性能に拠らないところで差別化をしていくことがとても大事になってきたのです。

こうした動きはワインの世界にもそのまま当てはまります。

ワインはその年、その土地の気候に出来が直接左右される農作物であるブドウから造られています。そのため同じものは造られないと思われがちです。しかしその実、栽培技術や醸造技術の発展と機械化の促進、そしてそうした技術の世界的な広がりを背景に品質は標準化され、根底の部分では似たようなものが造られるようになってきています。

世界で見渡してみてもすでにそうなのです。限られた国や地域の中で見てみればその傾向はさらに顕著になります。結果、スーパーやワインショップの棚には似たような品質のワインが所狭しと並ぶようになり、限られた棚の中でスペースを確保するための競争は日々激化しています。

こうした中で一つのワインを唯一無二の存在にする可能性を持つのが、ストーリーテリングです。


ワインの販売は9割がストーリー

「ワイン販売の決め手の9割はストーリーだ」

とあるやり手のビジネスマンの方とこんな話をしたことがあります。
この時は話していた相手の方から言われたのですが、私自身が以前に似たような内容をTwitterにPostしていましたし、常に同じような考えを持っていましたので何の抵抗もなくこの言葉を受け入れていました。



またこうしたストーリーテリングがワイン販売の現場において絶大な効果を発揮することはすでに研究結果としても証明され、発表されています。


この研究の結果によれば、事前のブラインドテイスティングの結果では実に7割の被験者が明確に低い評価をしたワインであるにもかかわらず、その後にワインの由来やコンセプトに関する"プレゼンテーション"を行ったところ相応の人数が購入意思を示したそうです。つまり、「味に不満があり購入に値しない」と判断されていたワインが、ストーリーテリングを経ることで「購入に値する」とその評価を180度変えたのです。

これはまさにストーリーテリングによる付加価値の創造です。
もしくはワインの背景が持つ価値の発現、といってもいいかもしれません。

ワインは嗜好品とはいえ食品である以上、その味が本来最大の関心ごとであるはずです。誰も不味いと感じたモノをわざわざ買おうとは思いません。
本質的にそうしたものでありながら、ストーリーによってその本質における欠陥さえも無かったものとして購買行動に至らせているのですからその効果のほどは絶大です。


造り手はストーリーを紡ぐのか

丹精込めて造ったワインであっても結果的に他の人が造るワインと似てしまい、埋没してしまう。小さな違いはあるのに、その差を理解してもらえず、もしくは理解してもらえているにもかかわらず、結局は似た者同士として扱われてしまう。現代はまさにそんな時代です。

そんな厳しい競争を勝ち抜いていくために、自分の造るワインを他の人の造るワインとは区別するために造り手が出来ることとは何でしょうか。造り手自身が差別化のためのストーリーを紡ぐことでしょうか。

栽培にこだわる、醸造にこだわる、そしてそうしたこだわりや想いをストーリーとすればいいのでしょうか。
それともワイナリーの設立までにあった苦労話や経験談をワインの背景に横たわるストーリーとして見せればいいのでしょうか。

どちらも違うように私には感じられます。


ストーリーは「語られる」ことに意味がある

ストーリーは「語られ」てこそ、存在意義があります。そして「語られる」ためにはそもそも「語る」のではなく、「語らせ」なければなりません。
「語った」のではなく「語られ」てこそそこには「語られるだけの価値がある」と判断されますし、語る側も語る価値があると自覚しているはずです。そうした判断、自覚を通して語られる内容だからこそ説得力が増し、影響力が出るのではないでしょうか。

造り手本人が自身のワインを貶すことはありません。いつでもプラスの評価をします。

これに対して、普段は公平な立場から低い評価もする人間が絶賛したワインはおそらく造り手自らがした評価以上の意味や価値を持ちます。ロバート・パーカーにしろ、ジャンシス・ロビンソンにしろ、ワインの販売に多大な影響力を見せるのは常に造り手本人ではなく、そのワインを語る第三者です。


造り手自身が創る価値

造り手が自らのワインにストーリーを持たせたいと考え、自分でそのワインにあわせたストーリーを組み立て、自らの口で語ることに果たして意味はあるのでしょうか。

ワインを売る側に立つ人、ワインを扱う側に立つ人はそのワインが持つストーリーを求めています。そのストーリーを知ることがそのワインの価値を高めるための方法だと思っているからですし、それは今のところ正しい見解です。似たようなワインが星の数ほど存在する中から一つのボトルを選び出すには、そのボトルを選び出す根拠や理由が必要で、ストーリーこそがそのための根拠になり得ます。

ストーリーを欲している人に欲しているものを提供することは間違いではありません。しかし造り手本人がストーリーに頼ってしまうのは違うのではないかという考えを、私は捨てきれずにいます。

アメリカ、カリフォルニアのワインの巡る、ある一つの非常に有名で強力なストーリーがあります。「パリスの審判」です。この物語を経て、カリフォルニアワインの知名度は一気に高まりました。

この物語に触れた消費者が欲する体験は、「あの有名なフランスワインをも凌駕したワインを飲みたい」というもののはずです。
消費者が求めているのは結果的には「カリフォルニアワイン」ですが、本質的には「フランスワインを凌駕したワイン」です。「カリフォルニアワイン」ではありません。

つまりカリフォルニアでワインを造っている生産者が追うべきは「パリスの審判で高評価を得たワイン」でもなければ、「パリスの審判で高評価を得たカリフォルニアで造っているワイン」でもありません。こうしたすでに存在する物語の上に成り立った価値に基づくモノではなく、ブラインドテイスティングという物語も背景も何も付加されていない、素の状態で「世界で最高評価されるワインを超えるワイン」です。

ここに物語が存在する余地はありません。


売るためのストーリーに価値はない

ストーリーを作ることは一見難しそうに思えますが実際は簡単です。

例えば、「1人の日本人がある日突然ワイン造りを目指し、ワインの右も左も知らず、ドイツ語さえ分からないままドイツに渡った。そこで苦労の末にワイン用ブドウ栽培とワイン醸造の学位を取得し、その後3年せずにVDPワイナリーの醸造責任者に上り詰めた。その彼が造ったワインがこちらです」なんていえばこれはもう立派なストーリーです。興味を持ってくれる人もおそらく何人かはいるでしょう。

その一方で、このストーリーは何も意味していません。「何も知らない素人がドイツで勉強して就職して造ったワインです」、といっているだけです。物珍しいだけで内容を伴わない物語に価値があるでしょうか。

造り手はうわべだけの物語に流れるべきでも流されるべきでもないと考えています。大衆からのウケを狙って何かをやってみても、その専門家ではない以上、上滑りするだけです。一時的にもてはやされていい気になってみても、そんなものは長続きしません。

ストーリーで売る時代だからこそ、造り手自身はストーリーと距離を置くことが大事なのではないでしょうか。

なにより物語としても、作ろうと意図して立ち回ったものよりも、意図しないのに物語になってしまったものの方が面白いと思うのです。

醸造家として私が日頃から見ていることや感がていること、ワイン造りの現場やその裏側を知ることのできるサークルを運営しています。
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