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あなたのためを思って、と言ってはいけないし思ってもいけない

あなたのためを思ってと言うとき、大抵は自分のためを思っている。
口出しをすることや手出しをすることを我慢できない自分を
擁護するための免罪符であり、正当化するための大義名分である。

本当に相手のことを思っているなら、関心があるなら、相手に言うのではなく相手に聞くのではないだろうか。
それなのに、相手に口出しをするというのは、こうあるべきだと考えている自分に焦点が当たっていて、相手を思っている、すなわち相手に焦点を当てているということと矛盾している。

あなたのためを思っていると相手に伝えようとすることも、
それもまた、相手を思っていると相手に伝わって欲しい自分に焦点が当たっている、矛盾のある状態である。

あなたのためを思ってと言うことは、ずるい自己保身である。
それを言って、相手が言うことを聞いて成功、もしくはそれを聞かず失敗したときは、自分が行ったことの正当性を使い上からマウントを取ることができる。
それを言って相手が言うことを聞いて失敗、もしくはそれを聞かずに成功したとき、すなわちそれを言うことや言った内容が論理的に間違いだったとき、それでもあなたのためという"良心"を前提にしているため批判を逃れることができる。
だから、あなたのためを思ってということは、自己保身でありずるいものである。

そもそも、仮に正真正銘相手のためを思ってたとして、不用意に相手を傷つけたり、全くとんちんかんな内容を相手に伝えることは無条件に許されるものではない。それなのに相手のためを思ってと言うことは、良心から来ているのだから許されるべきだという前提を勝手に押し付けている。

以上から、あなたのためを思ってということは、失敗のリスクを避けることや立場的に上に立つことができ、"良心"を使って相手をコントロールしようとする邪悪でずるい自己正当化できるものに陥りやすい。

もし、あなたのためを思っているのにと思ったとき、自分はこう考えているというスタンスを取って矛盾を解消したり、本当に相手の役に立つ言動は何なのか思い直す必要があるのではないだろうか。


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