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『困った時には頼ってね。すぐ行くから』

よく、恋愛初期に語られがちな言葉じゃないだろうか。もしくは稀に友人関係でも使われるような言葉。

しかし、そんな甘い言葉はすぐに腐ってしまうか、後に嘘だとバレてしまう。もしくは双方の依存度により、無理がたたり崩壊する。

そんなことを実践するには、人間は社会的に色んな厄介ごとを抱えているものだ。

日々の仕事、家事、日常の雑務、社会的に必要とされる所用、断れない仕事関係の飲み会、自身の体調によるヤル気などなど。


でも、驚くべきことに、ごく稀にそれをやり遂げてしまう奴がいたりする。


今朝、如何ともしがたい、行政的なトラブルが起こってしまった。頭を抱えた。たまたま仕事は昼過ぎに終わるものだったので、その処理に追われた。

しかし、自分一人では立ち行かない問題がある事に気付いてしまい、膝から崩れ堕ちそうになった。


どうしよう。

大人と呼ばれる年代になっても、数年に一度はこんな事がある自分の人生を嘆いてもしようがないが、途方に暮れてしまった。


で、そういう行政的なトラブルに強い友人に連絡をしてみた。どうしようもないのだが、不安でとりあえず。


したら、それを5分であっさり片付けられてしまった。

言葉で不安をふっとばし、更には今日入っていたであろう予定を潰したのか変更したのか、これから解決しにこちらに来るという。


確か、明日から大阪で仕事と言っていた筈なんだが、そんなことなかったかのように、振る舞ってくれる友人。




困った時には頼ってね。
すぐ行くから。



そういや昔から本当に来るやつだった。

頼ってね、と言われても私はそれを信じられず、もしくは裏切られるか、最初から嘘だったかして、ほぼ誰かに頼ることなどしてこなかった。助けを求めても大概はそんなことはうまくいかず、スルーされるか、頑張ってね、という無責任な言葉であしらわれるのがオチだった。

『みんなも苦労して生きているんだから、頑張ってね。 』『みんな同じでしょ?辛いのはみんなも同じ』『みんなもやってるんだからやらないと』『みんな頑張ってるんだよ?』


いつも見たことも聞いたこともない『みんな』とやらが行く手を阻む。


『みんなとか言われてもねぇ』

件の友人は良くボヤく。

『そんな会った事もない人等を引き合いに出されても解らないし、'辛い'のはとても個人的なものだと思うけどなぁ』



困った時に困ったと、疲れた時に疲れたと、辛い時に辛いと、怖い時には怖いんだと、言える人を持っているのはとても贅沢なことかも知れないが、それを出来る人を持つのはとても難しいことではないのだろうか。



人は一人で生まれ、親の庇護から外れたら、一人で生き、そしていつか一人で死ぬ。



しかし自分の味方をただ一人でも持つことが出来たら、それはそれでもういいのではなかろうか。
ただの知人でなく、本当の味方を、互いに理解できる誰かがいたら、それはそれでもういいのではなかろうか。


たとえいつか一人で死ぬのだとしても。



(そういえば、2番目の白黒王子の写真出したことないなぁ、と思ってヘッダーに彼を載せてみました)

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