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自分のこと②

今回は前回も言った通り自分のことについて話していこうと思う。簡単に言えば時系列と細かな説明?だ。

俺の生まれたとこは大阪。
小さいことはほとんど覚えてないが1部覚えてる部分と写真なので推測すると意外とその時は愛されてたと思う。
いっぱい写真を撮ってくれてたり顔にキスしてくれたり、幼稚園、保育園ぐらいになると動物園や公園、普通に遊びに出かけていた。多分その頃は精神病はなかったのだろう。だが虐待はあったらしい。
父方の祖母が俺の家族と俺と一緒に出かけていた時俺は蹴られて顔からコケたらしい。それを見た祖母は驚き止めたという。母は言った「私が食らった力より少なくしている」と。
そう。前のnoteを見ればわかるが虐待されていた環境で育ったため育て方がそれしか分からないのだ。
なぜならそれでしか育てられたことがないから。祖母は「そんな育てかたは間違っている。私が教えてあげるから」っと言ったらしい。これは祖母に聞いたため本当かは分からないがそんな出来事があったらしい。

俺の家族は色々あって色んな場所に引っ越しまくっていた。理由は分からない。わかる理由はいちばん新しい引越しのみだ。それ以外はなぜ引越しをする必要があったのかは分からない。

それもあり幼稚園、保育園、小学校は引越しばかりなので転校しまくっていた。
多分ここで俺もきつくなってきているのだろう。
記憶はここら辺から覚え始めると思うから。

俺がいちばん嫌な記憶を言おうとしたが何個もあるためその中のふたつを紹介しようと思う。

  1. 両親が喧嘩し母がODをし病院に救急車で搬送される話

  2. 両親が離婚しそうになる話

まず1つ目。記憶は曖昧だが家族で車に乗っている時親が喧嘩しコンビニ?で車から母は降りる。そして父はおれに「大丈夫だからね」っといいそのまま車を走らせる。

俺と父が家に帰って母の居場所を確認する。
確認するとなんと母はODしていた。
飲んだであろう薬のゴミが大量にあった。
この時点でもう薬を出されるくらいの精神病にかかっていたのだろう。父は母が意識が朦朧としているのを見て直ぐに救急車を呼んだんだろう。俺はその時の詳しい状態はわかっていなかっただろう。だがこれはわかっていたと思う。母が○んでしまう。っと。

まだ小一ぐらいだ。そんな場面に直面したらどうすると思う。泣き叫ぶ。それしかできないのだ。救急車はまだ来ないのかまだ来ないのかとソワソワし、どんどん弱っていく母を見ることしか出来ない。
やっと救急車のサイレンの音が鳴り俺は叫んだ。
「救急車!ここです!!早く来てください!」っと
そして母は搬送された。
そしてその後記憶がなく1部あるのが入院しなければいけないのに母は拒否しその日に退院。そしてその帰りに西松屋に行き俺の服を選ぶ。俺は母の隣にいて倒れないよう手を掴む。父が「倒れないように支えてあげて」っと言われたからだ。
フラフラな母。今にも倒れそうなのに俺の服を選ぶ母。西松屋で、。
それが1個目の記憶だ。

2つ目は小学校2、3年の頃だろうか。親がまた喧嘩して離婚の話になった。父はどこにいるか分からない、とりあえずどこかにはいるだろうが仕事かもしくは家か、分からない。俺と母はその時に住んでた家の近くのスーパーの2階にいた。そしてベンチで座り母は父に電話していた。その時に聞かれたのだ。
母に「もし離婚したらどっちにつく?どっちについて行く?」っと。この話を小2か小3に、もしかしたらそれ以前にも話されたかもしれない。当然怖くて母といった。ちなみに離婚の話は最近もあり最近も聞かれたことがある。
そんな話。


ここまでで小学生の話だ。いちばん嫌いなのは○殺未遂の話かもしれない。この話を書いていた時に思い出して今泣いてしまった。

これより虐待を受けてつらいひとがいたりするだろう。俺の場合はこの時点だとこのくらいだ。
長くなってしまったのでこれ以降の話は次に話していきたいと思う。

次は自分のした失態について。話していこうと思う。

ここまで読んでくれてありがとうございます。
また次のも呼んでくれると嬉しいです。

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