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なぜ比べるの?

こんばんは今回はなぜ比べたがるのかについて話していこうと思います。

なぜ親や大人、人は比べたがるのでしょうか。学力も運動も辛さも。

自分は最近親に怒られました。その時に何度も言われました。「お前は恵まれてる方だよ」「私たちの時はそんなんじゃすまないよ」「私たちに比べたら楽だ」「私に比べたらそんなのまだまし」っと何度も何度も何度も。

なぜ比べるのでしょうか、なぜ比べたがるのでしょうか。

自分はこの言葉が大っ嫌いです。確かにそっちの方がつらいそっちの方がきついそっちの方が比べ物にならないぐらい大変で。そんなのわかってる。でもこっちだってつらいんだ。俺も「そのくらいで」って思われるかもしれないでもつらいんだよ。わかってるふりして比べる。ほんとにそれが嫌です。

確かに自分が悪いとこの方が多い何なら全部悪いといっていい。でもこれだけはわかってほしい。「したくてしてるわけじゃない自分だって努力してるそっちからしたら努力してるように見えないかもしれない。けどこっちは頑張ってるんだ。怒られないように親が思う完ぺきになれるように。」「こっちもこっちなりにつらいんだ。ちっぽけだと思うかもしれないでも俺も辛いんだ。」

それだけわかって、、。

これを書いてると思い出して涙が出てくる。だって一昨日の出来事で大泣きして過呼吸になって昨日目が腫れていたのだから。でも書くみんなに知ってもらいたいし。何よりおんなじことを思ってる人がいると思うから。

なぜ比べたがるんだろう。そんな話。


こっからは一昨日のけんかについて少し話していこうと思う時間がある人だけでいいので見てくれると嬉しい。

一昨日自分は怒られた理由は今年の4月に学校に行くのだが部活のことで言われた。前提として少し話すが父方の祖父がステージ4の末期がんで寿命も診断され本来なら昨年に亡くなると宣言されたでも今現在でも生きている。でも病気が進行し手術をし定期入院になる。これを前提に話す。また学校は一度やめていることは知らず今もほぼ高校三年生だと思っている。

それで部活の話になりいつなくなるかわからないので部活に行くなという話である。だが俺が行く高校は原則部活に入らないといけないので家でも練習できて何か行事があってもあまりおくれずしかも実家にも行ける軽音楽に入ろうと思っていた。それに好きな部活なので同じ共通の友達にも会えると思いそれにしたのだ。それが親に後半のことを言っていなかったので「部活に行きたい。軽音楽部にどうしても入る」と聞こえてしまったらしくそこで怒られてしまった。後々いったため「後出しだ」と。「今考えただけで思っていなかっただろ」と。挙句に「お前は人じゃない。人としてくずだ。」っと。
まぁ後半は毎度いわれているので「またいわれたやっぱり人間の屑だ、人間でもないただの屑、人でなしなんだ」と思う。もう何度これを言われたかわからない。自分をもう人間だと思っていないし人だと思ってないし人でなしだと思っている。だって直せていないから怒られてるのだから。
自分は思う「なんでこんな出来損ないなんだろう。なんでこんなくずで約束も守れない頑張ってるつもりなのにできてないんだろう。直そうと思っていないから治らない。ほんとにその言葉通りだ。自分なんていらない○えてしまえばいいのに」っと

でもこうとも思っている。「したくてしてるわけじゃない自分だって努力してるそっちからしたら努力してるように見えないかもしれない。けどこっちは頑張ってるんだ。怒られないように親が思う完ぺきになれるように。」そうさっき言った言葉だ。でも親は全否定してくる、、もう頑張る意欲消えるよね。だって何やったって自分はなんもできないし結局全否定なのだから。

結局その場はせめて祖父が生きてる間だけでも部活は行くなっと先生に相談して何とかしてもらうと。もうね年齢自体違うから仲良くなれるか不安なのにそれプラス部活動というもう一つのきっかけが消えたから高校生活平穏に過ごせるかわからなくなったできない気がする。そんな不安と家族の恐怖と自分の出来損ないさを抱えながら1日生きていく。ははっ。しんどいね。



こんな長くまで見てくださりありがとうございました。長いのに。感謝です。ありがとう。ではまた次の投稿で。




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