気付いて欲しくて、気付かれるのが怖くて

12月31日

嬉しいことも嫌なことも忘れて
きたる新年への思いを馳せる日だ

例に漏れずわたしも楽しんだ、相当。

ありがとう。あけましておめでとうを言うべきではない年だったのに、つい言ってしまった。

ごめんね、忘れてたわけじゃないんだよ、
じいちゃん。うん、天国からいいよ〜って
いつもの優しい声が聞こえてきたから大丈夫。

寝過ごした初日の出から10日経つ。
大抵、こういうことをしようと
思いつく(というよりかは衝動的に行っている)
のは、心にかげりが生まれてる時。

新年早々何やってるのかと思うけど、
新年だろうと関係なく、いつでも心は曇り空なのがわたし、という人間なのだろう。怖いよね。
いやおもしろい。わたしは楽しいよ?

その雲を必死でかき分けて、
絡まる糸を解いてはまた絡まることを
繰り返してきた年だった。


何から話せばいいかな。
いや、話さなくてもいいだろうけどさ。

この大きい独り言を聞いてくれる
誰かがいることを信じて書くんだよ、

誰かの心のなかで
私が生きてて欲しいんだよ。

読んでくれたからって何かが変わるわけじゃないし、誰かが助けてくれるわけじゃないよね、
わかってるよ。

気付いて欲しいけど
気付かれるのが怖いんだよ。

その狭間で生きてる、そんな年だった


生きるってなんだろう
信じるってなんだろう
死ぬってなんだろう

2022年に考えていたこと3つ。


生きるってなんだろうね

生きるのが辛いことが多かった、
生きづらかった。精一杯だった。

原因はわかってる。けどその原因が
取り除かれたことで自分のなかで解決する
問題では無いこともわかってる。

視界に入ってきた錠剤を何シート飲めば、
と頭に浮かんだところで、ダメだ、と
冷静になってやめた。

痛いことは苦手だから行動にうつせなかったし、赤いものはあまり好きじゃないし、何より寒色の方が好きだからやめた。どんな理由であろうとも、引き止まった自分グッジョブ。

数えられないくらい、というと嘘になるけど。
そういう気分の時は大抵、開いても怒らなそうなLINEグループで、グループ電話を1人で開いてすぐ消したり、ただ1人で無言でいたり、YouTubeを見てたりして気を紛らわした。

話すと泣いて話せなくなるから、
もう泣きたくないから電話を繋げるだけ繋げてテキストで話すこともあった。今思えばどんなだよ。付き合ってくれた人、付き合ってくれてなくてもグループ電話を開いたことをいつものことだなって思って流してくれた人ありがとう。

辛さは比べるものでは無いし、自分が甘えてるだけだと思ってた。愚痴や弱音を吐くのもあまり好きでは無いから、頑張ってしまった。結果、取り返しがつかなくなった。車のフロントガラスの傷は小さくても命取りになるし、少しの引っかき傷でもストッキングはそこから穴が大きくなってボロボロになる。

こうなってから行動したのは遅かったけど。なんとなく話したら、みんなが口を揃えて、それは「おかしい」と言ってくれた。有難かった。



自分に必要だったのは客観的に判断してくれる誰かの存在だった。取り付く島もない大海原に放り出された、泳ぐことを知らない子どものわたしは、自分がここにいる事が悪い、泳げない自分が悪いと責めていた。実際は、そこに私を放り出した「誰か」も悪いし、泳ぎ方を教えないまま放り出した「誰か」も悪いのだ。そのことに気づけなかったことも悪いのだ。

勧められるがままに向かった病院では、それはすぱっと、本当にずばっと、客観的な指標を元に診断された。あーあ。そっか。なんとなくの諦めとなんとなくの納得。ちゃんとしようとしてもできないのも仕方なかったことだったみたい。全部頑張ろうと思って頑張ってたけど、少し頑張りすぎだったみたい。


でも少し心が軽くなった。理由がわからずに苦しむよりも、何か名前を付けられた方が安心する。セカオワも言ってたじゃん、「 ヒトは何故か分類したがる」って。私は健康、じゃない方に分類されたね。残念。でも心が軽くなってるならそれはそれで健康になったんじゃない、少しは。

ただ、こんな、粉を固めたもので、私の生きたい・生きたくないスイッチが、私が安定するとか、鎮まるとか、にわかに信じられないし、それと同時に、この子に1センチにも満たない錠剤にその私の全てを委ねるのはなんだか馬鹿らしく思えた。

ほんと、生きるってなんだろうね。
生きるの話は一旦おわり。


信じるってなんだろうね

信じるとか信じないとか、好きとか嫌いとかって、本当に面倒だし、それを気にしてる自分が嫌だし、バカみたいだし、相手の心が透けて見えればいいのにっていつも思う、知りたいことを知ることが出来ないジレンマに踊らされるのが人生だ。そして、大抵、役に立つような立たないようなことは知っているし、記憶にも残っている。友達が最近変えたタバコの銘柄とか、前に好きだった人の恋愛事情とか、別れたとか付き合ったとか。

知りたいこと、本心が透けて見えたところで、取り繕って接していることを知ってしまったらそれこそ立ち直れないか、そっか。やっぱり見えなくていい。

見えないものを見ようとして、望遠鏡を覗き込んだけど、やっぱり見えなかった。近づきすぎたから、見えなかったのかもしれないけど。

気が付かないうちに、私のために走らせていたはずの鉛筆は、どこかの誰かの笑顔を描くためのものに変わったし、私のために歌ってくれた歌は、心地いいものではなく、聞こえてくるたびに耳を塞ぎたくなるものに変わった。

お気に入りのジャケットの外れたボタンを、綺麗に、素早く縫ってくれたけど、私の心は裁ち鋏でズタズタに切り裂いたままどっかに行っちゃったね。

大事なことは忘れるんだね。まぁいいよ。
時間という名の布を手にしたら、
あとで自分で縫い付けるよ。今は仮縫い。

また、ボロボロになるだろうけどさ。
その度に自分と、自分を大切にしてくれる仲間と一緒に縫い付けるから。もういいよ。

いまはもう、あなたがいなくても大丈夫
自分で縫えるから。



私が、誰かのことをズタズタにするのではなくてズタズタにされる側でよかったよ、とかヒーローぶったけど、そんなことは全然ない。

応援するよ、だなんて言っちゃったけど、
言いたいことはもっと他にあったよ。

嫌いになったなら、私の投稿を見ないでよ、
いや、非表示にしない私も悪いけどさ。
で、いつ既読つけるの?

勝手に終わったつもりになってるのは
あなただけだよ、

いや、本当は最初からはじまってもいなくて、
私の存在はあなたにとってのつかの間の
小さな消耗品の布だったってこと、
知ってたけどね

ちゃんとした終わり方、ちゃんとした去り方を
お互いにできないままだから、ほつれたスカートみたいにびろびろと糸が出てくるんだよ。

それこそお互いに玉留めして
次の新しい糸を引き出すべきだったんだよ。

たくさん、ちょっと愚痴みたいなこと
書いちゃった、ごめん、そんなつもりは無いの。

寒いから着ていきなって渡してくれたパーカー、
指輪が欲しいって言ってた私にくれた手作りのリング、描いてくれた絵、贈ってくれた沢山の素敵な言葉たち、行く宛を失っちゃったよ。

どこに捨てようか。

ただ、何回もかけてやっと繋がった電話越しに
聞こえたのが初めて聞く女の人の声なのは、
ナンセンスなんじゃない?

信じるってなんだろうね、の話

短い間だったけどありがとう。
すきだったよ。ばいばい。幸せになってね。

ちょっと何言ってるか分からなかっただろう
けどおわり。

死ぬってなんだろう

私のじーちゃん、年越す前に死んだんだよね
それに誕生日迎える前日にだった。「少しでも若い姿でいきたかったのかな」なんて、
誰かがお葬式で言ってた。

人間という生き物は何でもかんでも、理由をつけて納得したがるんだな、って思った。

ちっちゃい頃から、何を言うでもなく、
ただ椅子に座ってたり、焼肉する時は
自分は食べないで私と兄貴にタレが溢れるくらいに焼けたお肉をお皿に追加してくれたりするじーちゃんがすきだった。

「なぎちゃん、なんで髪伸ばさないの」
ってずっと言われてた。ばーちゃんとかおばさんはショートの私をいつも褒めてたけど、じーちゃんだけは、長い方がいいのにっていつもぼそっと呟いてた。

ごめんね、じーちゃんが自分のことをじーちゃんってわかる時に、私を私ってわかる時に
髪の長い私の姿を見せられなくて。

いまさら、私のトレードマークになるくらい伸ばした。馬鹿だよね?遅いよね?

怒った時を見たことないじーちゃんだけど
こういう時くらい怒ってほしい、と思った

1年前の成人式のとき
寝たきりのベッドに晴れ姿を見せに行った時、

私のこと見て、笑ってたし、泣いてた。

私のこと、わたしってわかったの?
髪が長かったから、泣いてたの?

聞きたかったけど、何も話せない、
言葉を忘れた伝達手段のないじーちゃんに
聞くことは出来なかった、

答えはじーちゃんにしか分からない
私たちは、納得したかったから、
そういうことにしたけどさ。

意味なんて考えたところで本質は違うところにあったりする、と思う。後付けだよ、意味なんて。

じーちゃんが今年の私の誕生日の次の日くらいに救急車で運ばれたことを聞いた。私の生まれた日の祝いムードはここ数年全部ぶち壊されてる。仕方ないことだからいいけど。

コロナ患者がたくさんで、行く宛てもなくて1時間も救急車にいたことも聞いた。やっと着いた病院での検査の結果、もう手の施しようがないから、自然に待とう、って話も。

そんな話をされた誕生日翌日らへん。
誰かが泣いてる日には誰かが笑っていて、
誰かが生まれれば同じ瞬間に誰かが死んでいるんだなって、思った21歳0ヶ月。

結果、運ばれて1ヶ月が経った日に亡くなった。
私がバイトに行ってすぐ、その連絡が家族LINEに入っていた。休憩の時に見たのが悪かった、その後の仕事はどうこなしていたか思い出せない。

あれよ、あれよのうちに、あれこれの日程が
決まって、私も飛ぶようにして地元に帰った。

寝ているみたいだった。棺に入れられ、
花を添えられ、車で運ばれる一連の作業を、
なんで寝ているだけの人を箱のなかにしまうのだろう、とか訳の分からないことを思いながらぼーっと見つめていた。

「生前、身につけていたものや好きだったものを一緒に入れてください」いつも被っていた帽子と、たまに飲んでいたお酒、道中口寂しくないように甘党なじーちゃんのための甘味をいくつか入れた。

兄貴にこそっと「兄貴だったら何入れてほしい?」って聞いたら、「スイッチ」とか言ってた。天国でもゲーム三昧か。一緒に二郎系ラーメンを野菜マシ、ニンニク増し、味濃いめで入れてやろうと思う。

私は、何を入れたいかな。
考えておこう。

次の日には、肌色はどこかに消え、灰色の世界にいった。2時間も経ってないうちに、燃えて灰になるなんて、88年間はたった2時間で決着がつくのか、と呆然とした。

みんなで、88年間生きてきたかけらを詰めた。

ちりとりみたいな網と棒で、つぼに入り切るように粉々に砕いたのを見て、これまた愕然とした。痛い思いさせてごめん、って思った。兄貴にこそっと「私だったらつぼに入れるんじゃなくて海に撒いてもらいたい」って言ったら、「そんなの地球に迷惑すぎる」って言われた。たしかに、海の藻屑ならぬ海の粉屑に勝手になって、勝手に生態系を乱したらいかんな、と思った。

生きることをやめたかった私が
生きることを止めたかった私が、
身内の死を目の前にして、
人間ってあっけないな、と思った。


平等に与えられている時間のなかで、
自分がどう生きるか、どう振る舞うのか、
迷惑をかけたか、かけなかったか、
何かをなしとげたか、諦めたか、
なんて、死を前にしたら、
全てがどうでも良くなる。



悩みだなんてちっぽけだと思った。
全部灰になるわけだ。

私の身長がでかいだとか、太ったとか、
可愛くないとか、どうとか、こうとか、
全部、全部、死んだら関係ない。

そんなの関係なしに燃やされて、
つぼに入れられる。

それに悲しさも感じるけど、
同時に魅力をも感じる

何かわからないけど、何かに許されて、
ゆっくりと、今までやってきたこと
全てを肯定されて、眠りにつける。

なんて幸せなのだろう。

でも、
その、どうでもなくなる、瞬間を
自分なりに、どうでもなくならなくしようと、
ちっぽけな悩みと対峙しながら、
足掻いて、もがいて、苦しむことが
死の対極に位置する、生、なのだと思った

そしたら、いまの私、
めっちゃ生きてるって思った

そっか、生きちゃってるんだね、
生きたくないって思っているのは、
精一杯生きてるからなんだね、

死を前にしたからって、
よし元気に生きていこう、気合い入れるぞ、
だなんて、そんなすぐしゃかりきになれる訳ではないけどさ、死人に口なし(意味は違うけどね)とは言うけどさ、

じーちゃんが亡くなったことで、自分がまだまだ生き続けていること、そして生きねばならないことをまざまざと伝えられたし、感じられた。

死ぬって、生を意識させるために
置いてあるんだろうね。

死ぬってなんだろうね、の話
一旦終わり。


2022年、あんなことやこんなこと、みんなの記憶に新しい給湯器物語とかも含めて怒涛の年だった

抱え込んで、たまに吐き出して、また抱えて、
1人で戦っては負けて、助けを乞うても、
戦いきれなくて、必死でもがいた1年間

気付いている人もいるだろうけど、
多分、というか、もちろん、
明るい私だって、私だけど、
私って明るい人間じゃないんだよね

そのことに気付いて欲しかった、一年だった

けど、重すぎて、抱えきれない人だと思われるのが嫌で嫌で気付かれるのも怖かった、一年だった

だからこうやって、ぼそぼそと
大きな独り言をつぶやき、書いては、
ひっそりと出して、消して、を繰り返して
自分と、もう1人の自分とを見つめてた

2023年、もうスタートして10日経ったけどさ、
これからも悩みは尽きないだろうし、多分ずっとうじうじしてる性格だろうけどさ、こんな私でも生きててもいいよって思いたい

きっとみんなは優しいから、言ってくれる(言ってくれない人がいてもいいけど)ってわかってる、だから、本当に、自分で自分に及第点をあげられる、一年に、したい

あと、もっと自分の感情をきちんと伝えたい、伝えられるようになりたい。言葉にならない感情があってもいいけど、その気持ちを見過ごさないでいきたい。

そしていい意味でエゴイストに、
自己中になりたい、

自分のことをほったらかしにしないで、
自分のことを自分で優しくしてあげたい

そして、みんなが私にそうしてくれるように、
少しでも肩の荷がおりるような言葉を
かけてあげたい。みんないつもありがとう。

素敵な言葉たち、スクリーンショットをして
戦いに負けそうな時に読み返してるよ


自分にとっても、
みんなにとっても、
素敵な一年に、なるといいな。

おやすみ


今日1限だよどうする?
、2023年もバカなりに生きていくね

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