書いたものを通信に載せられるってシンプルに嬉しい
こんにちは。
noteを開いてくださりありがとうございます。
とある町で小学校の先生をしている、ひろきです。
noteでは、普段から大切にしていることやふと思っていること思ったことを不定期で書き溜めていきます。
また、教育サークル「まほろば」のメンバーが記事をまとめたnoteマガジンがあります。
これまで書いてきた通信は、6人のメンバーで合計7000枚を越します。
そんな6人が、さまざまな角度から学級通信について思うことをまとめますのでぜひお読みください。
最近の「まほろば」のマガジンを見てみると、とぅけさんが振り返りジャーナルの実践を書いてくれています。
その①というもの気になりますね(笑)
次の記事ではわいぬさんが、「成長ノート」について書かれています。
「子どもたちが成長を実感している文章を通信に書く」
とあります。
想像しただけで効果は絶大ですね。
2人の記事に触発させて、私もタイトルにあるテーマにしました。
小学校の頃を思い出しながら読んでみてください。
では、本題へどうぞ!
「お手伝い」
という日記を書きました。
今ではありません。
子どもの頃です。
どういうわけかその日記のことを今でもよく覚えています。
5年生だった私の担任の先生は、「ふきのとう」という学級通信を出してくれていました。
B4サイズのその通信には主にクラスの子たちが書いた日記が掲載されていました。
その先生がすごかったのは、毎日発行していたこと。
それから、手書きで書いていたことです。
教師の立場になった今、その先生の凄さがよくわかります。
毎日、誰かの日記が載る通信が発行され、1日のうちのどこかで紹介されました。
そのたびに、先生から力強く賞賛の言葉がおくられ、クラスでは拍手が湧き起こります。
まるで、1等賞を取ったときのように。
まるで、表彰状をもらったときのように。
まるで、ピアノのコンクールで金賞を取ったときのように。
それが学級文化として根付いていきました。
私は、その通信に自分の日記が載ることを密かに憧れていました。
優勝や金賞などの〇〇賞というものに縁がなかったので、特にそう思っていたのかもしれません。
私は5年生の1年間で数回日記が通信に載りました。
その中で一つだけ、通信に載せてもらうことを狙って書いた日記が「お手伝い」でした。
なぜか日記を書こうとやる気になったことがありました。
いつもの2倍近くの量を書き、密かに心躍らせながら日記を提出したのを覚えています。
その翌日、自分の日記が通信に載ってみんなに紹介されました。
狙って書いた日記が、思い通りに通信に載ったことが嬉しくて、大イベントをクリアしたような不思議な感覚でした。
あれから約20年ほど経ちました。
しかし、あの経験は今でも覚えています。
やっぱり、書いたものが通信に載ってことはシンプルに嬉しいことなんだと改めて思いました。
年間を通じて通信を書く教師からすれば、何十分の一、何百分の一かもしれませんが、受け取る子どもにとっては、大きな価値のある一枚なのかもしれません。
特に今回のように、いつもよりも分量が多い時はその子にとっては、「通信に載らないかなあ」と期待している子も、中にいるかもしれません。
先週クラスで実際にあった話です。
ーー先生、僕の日記読んだ?
朝、Aくんが嬉しそうに言ってきました。
いつもはこんなことを言って来ない子です。
何かあるんだな。
と思い見てみると、いつもとは一風変わった書きぶりで、自分について書かれていました。
早速その日記を紹介すると、Aくんは体をむずむずさせながら恥ずかしそうに喜んでいました。
いつもより分量が多いとき。
「先生、読んでくれた?」と言ってくるとき。
これらは、子どもたちの喜びを生むきっかけになり得えます。
子どもたちにとって、通信に自分の書いたものが載ることは大きな喜びになるからです。
「教師が思っている以上に」です。
そう思って、子どもたちの書いたものをもう一度見つめてみてください。
教室を切り取って描写的に描く通信も確かに魅力的ですが、子どもたちの文章にコメントを聞いて発行する通信もまた魅力的です。
みなさんもぜひ、子どもたちの書いたものを子どもたちの喜びに還元させてあげてください。
きっと今あなたが手にしている日記帳の中にも、子どもたちの喜びのタネが眠っいているはずです。