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これが恋人や結婚相手、友人と長期的な関係を維持する秘訣

6 依存と敵意

依存性は支配性を裏に含む。

その結果、依存心の強い人は、

相手との関係が敵対的になる。


なぜなら相手を支配しようとするが、

相手は自分の思うようにならない。


そこで所謂、敵対的依存という関係が生じる。


「親子の役割逆転」をする親には、

幼児と同じ強度の依存心がある。


同じように親の心の中にある母親固着も様々な要求を含んでいる。

しかしその要求はかなえられない。

その結果、激しい怒りを生む。


依存心が強いということは「してもらう」ことばかりを考えているから、

実際の人間関係では「自分が何かをする」という感覚がない。 

「してもらう」ことしかない。


「これは、自分のすること」という感覚がない。


「依存と支配」の関係ということがよく言われる。

それは愛情飢餓感の特徴である。


愛情飢餓感が強ければ、それだけ人が思うように動いて欲しいし、

動いてくれなければ傷つく。


「依存と敵意」の関係も同じことである。

それは愛情飢餓感の症状である。


相手に依存しているから、

相手に自分の思うように動いてほしい。 


しかし思うように動いてくれないから、

傷ついて相手に敵意を持ってしまう。


助けてくれと頼んだ人から、助けてもらえない。

その時に傷ついて怒りが生じる。

そういう人は恋愛をしても、すぐにうまくいかなくなってしまう。


それは、愛情飢餓感から「依存と敵意」になり、

依存する恋人に敵意を持つようになってしまうからである。


依存をしていれば要求は多くなる。 

要求が多ければ、それが通らなくて傷つく機会も多くなる。


「親子の役割逆転」をする親は、

全ての人間関係で失敗している。


そしてこの愛情飢餓感の持つ矛盾を、

子供との関係で一挙に解決しようとする。

しかも子供に対する要求は矛盾せざるを得ない。


「親子の役割逆転」をする親は子供に怒りをぶつけながらも、子供に愛を求める。

この矛盾は、神経症的傾向が強い人の一般的な特徴である。


相手に近づいて親しみを持とうとすると、なぜか敵対心が生じてくる。

敵対心から離れようとすると、なぜか近づきたい気持ちが湧いてくる。



例えば引きこもりである。 

家族が嫌いだけれども、家族なしに生きられなくて、家に引きこもる。


引きこもりは神経症である。矛盾を抱えている。

家族が嫌いだけれども、家族から離れられない。

かまわれたいけど、 かまわれると嫌。

干渉を嫌うが、干渉されないと淋しい。


「親子の役割逆転」をする親は、

子供が思うようにいかない。

すると親は子供に敵意を抱く。


親は子供を嫌いなだけではなく、人間が嫌い。

人間を痛めつけることが、「心の癒し」というくらい、

人間に憎しみを持っている。


それは「親子の役割逆転」をする時期まで、

全ての人間関係に失敗してきているからである。


その時までの心理的に未解決な憎しみが、

全て子供との関係に持ち込まれる。

とにかく子供にしがみついていたい。


「親子の役割逆転」をする親は、

子供の人生が悪くいっている方が無意識に喜んでいる。

意識では辛いと言いながら、無意識では喜んでいる。



「親子の役割逆転」をする親は、しがみついている対象を虐待する。 

しがみついている対象に怒りを持つ。


本来は子供の側が親に依存し、

自分の思うように支配しようとしている。


それが「親子の役割逆転」の場合には、

逆に親が子供に依存し、しがみつき、子供を思うように支配しようとする。 

それが上手くいかないので親が子供に怒りを持つ。




「親子の役割逆転」をする親は、

子供に対しては狼、他人に対しては子羊になる。 

子供に対しては利己主義、他人に対しては非利己主義。


「親子の役割逆転」をする親が、

時に子煩悩な親と言われるのはそのためである。


妻に暴力をふるう夫がいる。

DVと騒がれる。

しかし妻が怖くて、

妻に暴力をふるえない時には子供に暴力をふるう。

したがってその暴力は妻に対する暴力よりも凄まじい。


カレン・ホルナイは、神経症者には二つの世界に住んでいると言う。

一つはプライベイトな世界であり、もう一つは公的な世界である。


公的な世界が外面である。

プライベイトな生活が「親子の役割逆転」で、内面である。


毒親育ちの人が、

恋愛も友人関係などの人間関係が上手くいかなくなってしまう原因は、

依存と敵意の問題が大きいのです。


依存と敵意というのは、

相手の事が自分にとって大事な関係だと感じられる関係性になってくると、どうしても相手の事を支配したいというわがままな感情が抑えきれずに出て来てしまう心理状態のことです。


つまり、本当はもっと仲良くなりたいはずなのに、

潜在意識の中にある愛情飢餓の方が勝ってしまうために、

仲を深めたい相手に対して敵意を感じてしまうのです。


それは、毒親育ち特有の愛情飢餓感が根本原因としてあるのですが、

だからこそ、深刻な問題なのです。


なぜなら、

依存と敵意という心理状態があると自分で分かっておかなければ、相手に敵意を感じた時に相手が悪いと勘違いして、相手の事を責めてしまうからです。


そういう心理があるから、心理的に病んでいる人が誰かと仲が良くなっていくと、敵意を持って責めたり、不機嫌な態度を出してしまうので、

恋愛も破局してしまったり、結婚生活も上手くいかなかったり、

友人関係も破綻してしまう事になっていくのです。

これをくり返していくと、孤独が待っています。

だからこそ、毒親育ちの本人が1番、この心理の事を理解していかなければならないと思うのです。


毒親育ちで愛情飢餓感が激しい人の人間関係が上手くいかないのは、自分の中の、依存と敵意の問題が根深く関係しているという事です!


もちろん、私にもありました。

「マジかぁ、これが原因だったのかぁ・・・」と読んだ時に思いました。


過去の人間関係を反省してみても、

自分が相手に敵意を感じて悪い方に向かわせてしまっていたな、

と感じるケースもあったし、

逆に、相手が敵意を持ち出して来て、

それに耐えられなかったというケースもありました。


この依存と敵意の心理を自覚出来ずに自覚なく振り回されてしまうから、

親しい人間関係がなかなか構築出来ないのです。


悲しいのは、本当は仲良くなりたいのに、

自分の抑圧している敵意に振り回されてしまうという事ですね。


しかも、自分が敵意を持っているのに、

相手が悪いと思っているのだから、闇は深まるばかりなのです。

良いことが無いのです・・・


毒親育ち同士で付き合ったり、結婚したケースにおいては、

常にお互いがお互いに敵意を向けて傷つけあう関係性になってしまうのは、

もう、必然という事だったりするのです


心理的に健康な人というのは、

親密な関係になればなるほど、相手の事を大切に扱おうとします。


仲良くなればなるほど、親しき中にも礼儀あり、の言葉の通り、相手に敬意を持って接するのです。

出来るだけ相手を理解しようとするし、

相手の幸せが自分の幸せでもあると思っているのです。


それは我慢してやっているという事ではなくて、

自分の心の中、に怒りや憎しみや敵意が無いからこそ出来る事なのです。


だから、

愛する事はスキルだと、エーリッヒ・フロムは書いているのです


毒親育ちで神経症のままで生きている人は、無意識に、この逆をやってしまうという事です。


仲が良くなってくれば仲良くなるほど、

「こうして欲しい、あぁして欲しい」

「どうしてこうしてくれないの?」と相手に不満を抱くようになってしまうのです。

相手を尊重するどころか、逆にわがままを言ってしまいます。

わがままを要求するのは、大人になった今でも支配したいからです。


そう思ってしまうのは、幼い頃に愛情を貰えなかった事が理由で、

そういう支配性が、愛情飢餓の特徴なのです。


子供というのは、わがままをお母さんやお父さんにぶつけて、

その自分のわがままという必ず持っている支配性を受け止めてもらったり、

行き過ぎた時には、叱られたりしながら、

喜怒哀楽全ての感情の交流を通して心を成長させていくものなんです。


加藤先生の本で、

子供の本性はわがままである

と書いてあるのを数年前に読んだ時に、

私は雷に打たれたような衝撃を受けました


私が育った家庭では、わがままは言えない環境だったからです。

わがままを言っても、受け止めてもらうどころか叱られる事しかなかったのです。


風邪をひくと、なんてわがままんだ、と祖母に嫌味を言われてきたし、

共働きだった両親は、ため息ばかりだったので、

嫌だなと内心思いながらも、それが普通なんだと思って、

自分を責める事で生きてきたのでした。


そうやってずっと我慢して責めてきた事が、

加藤先生の本で覆ったので、ビックリしました


子供の本性というものはわがままなものである、という言葉は、

私に雷を打ち付けて、そこから一気に解き放ってくれたのです


そこからは、

本気で自分にわがままを許そうと思いました。


但し、私がわがままを言う相手は旦那さんだけです。

私にとって親密な関係性の人だけに出来る事だと思うからです。


更には、かわいいわがままだけにしています。


本気の幼児がする様なわがままはもちろん言わないし、

わがままと言っても、相手を不快にする様な事も言わないし、

侮辱したり、支配性を思いっ切りぶつける事もしない様に気を付けています。


それでも、支配性が出てしまったなという時は、

ちゃんと理由を話す様にしています。


私の経験では、可愛いわがままというのは、

自分で自分の心の中に愛情飢餓感があると自覚している状態だから出来る事なのです。


ただ単に、憎しみや怒りなどを相手にぶつけるのは、

可愛いわがままではなくなります


自分の中の愛情飢餓感を解消するのは、あくまでも自分の課題であって、

自分が自分に向き合う事から逃げるためにわがままを相手に言うのは違うからです。

それをやってると、いつか必ず、愛想を尽かされると思ってます。


つまり、可愛いわがままというのは、

相手に頼る、みたいなニュアンスなのです


例えば、一般的に男性は、頼られると嬉しいものですが、

毒親育ちで(仕方なく)自分に厳しく生きてきた女子は、

男性に頼る事自体が分からない人も多いのです。


頼る、という経験をした事が無いから、

一方的にいう事を聞くか(従順)?

相手を支配するか?

のどちらかという極端な接し方になってしまうのです。


そのどちらでも無く中間にあるのが、

可愛いわがままという事で上手に相手に頼る、という事です


これが恋人や結婚相手、友人と長期的な関係を維持する秘訣となります


一方的に相手のいう事を聞くという従順な関係は、必ず不満が貯まります。

不満が貯まる関係性は、破綻します。当たり前ですよね??


かと言って、自分が相手を支配しても良いことは何もないですよね。

対等ではいられない関係性は、

結局は長期的な関係性を築くのは難しくなってしまうからです。


だから、旦那さんと結婚してから1年くらいは、

もう、めちゃくちゃ難しくて、

やってもやっても出来ない感覚に襲われる事も多かったんです。


好きな相手と結婚したのに、そういう意味では1年は地獄でしたね(笑)


でもそれは、自分の問題だと分かっていたし、

加藤先生の本にも出逢えたので、

乗り越える事だけをひたすら考えてやって来ました。


そうとう鍛えられましたね!!

孤独なエベレスト登山って感じだったよね。


そして6年経った今は、そんなエベレスト登山にも慣れてきました。

そうです。やっていけば慣れるものでもあるのです!



毒親育ちの人が、愛情飢餓感を自覚して、

更にはその愛情飢餓感を解消していくのには、

「もう限界!!と思ったところから、更にもう一歩踏ん張った所」にある種のGOALがある様に思います!



40年間も貯め続けてきたものなのだから、

そんな簡単に解消できるものではないという自覚が、真面目に必要だと思いました。



せっかく頑張ってGOAL目前まで来ているのだから、

更にそこで踏ん張ってブレないで登り続ける必要があるのです。


何であっても、達成するというのは並大抵の努力では出来ないものだなって改めて思ったのでした。


男性には基本的に頼ってあげて、

たまーに本気でわがままを言って翻弄する、くらいが1番いいのではないでしょうか?


そうやって、自分に対しても愛情飢餓がある事を認めてあげて解消していきながら、パートナーにも、一緒に愛情飢餓の解消を手伝ってもらうのです。


毒親育ちで愛情飢餓を持って生きている私には、この方法がBestでした。



友人関係でも、すごく仲が良くなってくると、

愛情飢餓感から、知らず知らずのうちに支配性を出してしまいます。


相手が優しい人であればあるほど油断が出て来て、

ついついわがままを言ってしまいます。


相手に対して腹を立てたり、不満を持つ。

そんな自分が出てきたら、

毒親育ちの自覚がある人は、本当に注意が必要だという事です。



自分にとって本当に必要な人を、

自ら遠ざける事が無い様に。

失ってしまってから後悔することが無くなる様に。

毒親育ちは、

依存と敵意の心理を理解する事がとても大事です。


6月21日(金)から新規のセッションを受け付けます☆
本当の自分って何??と思ったらぜひ受けて見て下さい。

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