猫が来て、8ヶ月と2週間
マインドフルネスという言葉が初めて日本に紹介されたのは何年前だろうか。GAFAが社内研修に導入したとか、ビジネス系自己啓発の文脈だった気がする。その後も、朝活と称してお寺に座禅を習いに行ってから出社するとかいうビジネスマンの記事を目にしたり。
美容系やスピリチュアルっぽい情報発信でも良く見かける。ミランダ・カーが日常的に実践してるとか、私生活が乱れていた往年のハリウッド女優が取り入れて見事に復活を果たしたとか。
まあ、どんな文脈で発信されたとしても、ここ10年くらいは良きものとして扱われてきて、どこからも非難の声が上がらず炎上案件化もしないのは、本当に人間にとって必要な取り組みなのでしょう、暫し頭を空っぽにするということは。
私はこの瞑想というものがすこぶる苦手。朝の習慣として取り入れようとした時期もあったが、何も考えないということが本当にできない。目を瞑って、深呼吸をして、心を落ち着かせて、2秒もすれば今日の仕事の予定や、来週末に終えたい衣替えの段取り、食べたかった定食屋の定休日が何曜日だったかな、、、次から次へととめどなく思考が溢れ出す。ニュートラルな情報ならまだしも、昨日同僚に言われた気に食わない一言や、先月駅ですれ違った挙動のおかしい怖いおじさんのこと、子供の頃大嫌いだった学校行事の1コマなど、ストレスになるシーンのリプレイが止まらないことも。ただ、ボーッとするのが難しい。
常に何かを考えたり、思い出したりしていては、脳のCPUが休まらない。いつも疲れてヘトヘトになるので、なんとか瞑想というものをマスターしたいと、あれこれやってみたけれど、結局、頭を空っぽにするのに1番手っ取り早いのは筋トレだった。歯を食いしばりながら重いバーベルを担いでスクワットしたり、迸る乳酸の不快感に耐えながらダンベルを持ち上げたり、正しい姿勢を保てているか気にしながら注意深くピラティスを行ってる時など、身体がキツくて他のことは考えられない。10年ほど続いている趣味の乗馬も良い。走る馬の上では気にしなければならないこと、やるべき事が沢山ありすぎて、嫌なことを思い出してる暇などないのだ。そして、身体が疲れれば眠りも深い。心身共に健やかになる。でも、これって瞑想とは違うような。
ところが、最近、気がついた。猫を見ている時、私の頭は空っぽだ。猫が優雅に毛繕いする様子をうっとりと眺めている時、私は確かにボーッとしている。ねだられて、ホクホクしながら撫でてやる時、猫かわいいなぁ、しか考えていない。すんやり昼寝する猫の上下するお腹に見惚れつつ、私の頭の中は白紙である。そして、いつまででも飽くことなく、眺めていられる。ボーッとするのが苦ではないのだ。
これって、たまの旅行で高原などに滞在した際、山々の緑や小川のせせらぎ、キラキラと輝く木漏れ日を見ながら、はぁー綺麗だねぇ、、、となる時に似てる。休暇で仕事から解放されて、時間とお金を使ってリゾート地に移動して初めて得られる感覚だったはずが、猫さえいれば、毎日、家の中で瞬時に味わえるのだ。大自然に匹敵する、猫の可愛さの威力、すごい。猫は健康増進にも繋がるわ。最高。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?