もう、無理しなくて良いですか?
「苦労は買ってでもしろ」
「乗り越えられない壁はない」
と、苦労人だった母に幼い頃からずーーーっと言われてきた私は、振り返るとずいぶん無理をして生きてきたなと思います。
「ストイック」とか「努力家」と言えば、聞こえは良いけれど。
その努力は、自分を痛めつけるレベルでした。
なぜ、そこまでだったのかと言うと。
私は物心ついた時から、一人が好きで友達と仲良くできなくて、母をとても困らせていました。
母は私に何度も「お母さんは苦労を沢山したけれど、お友達を大切にしたからいま幸せに暮らせてるんだよ」と話し、私は「自分を変えなければ」と無理に友達と遊ぶ機会を作っていました。
それが辛くて辛くて。
ストレスで耳が聞こえなくなることもあったくらい。
何がきっかけだったか覚えていないのですが、小学校3-4年生あたりから自分の殻に閉じこもるようになり、「友達と仲良く」を諦めました。
だから、その他のことをめちゃくちゃ頑張ったんです。
勉強とか運動とか、とにかく母に褒めてもらいたくて。
かと言って我慢ばかりではなく、それなりに「好きなこと・やりたいこと」を追求して生きてきました。
でもそれは、楽な道であってはならないと思っていました。
だって、楽して好きなことをしてたら、苦労好きの母に褒めてもらえないから。
だから「わざわざ壁を高く設定する」というのが、いつの間にか私の当たり前になっていました。
高校・大学時代は詰め込みが過ぎて、「めっちゃ自分を痛めつけるやん」と言われることも。
社会人になってからも、産後もその精神を変えることができず、子どもの保育園時代にフルタイム勤務しつつ3時起きで勉強して、風邪引いても早起きを続けて肺炎にかかったり。
ダイエット期に、雨の日も風の日も毎日走っていたら、膝を故障して1ヶ月足が上がらなかったり。
そんな風だから、すんごい違和感なんです。
「心地よく暮らそう」とか
「ありのままの自分で良いんだよ」とか。
ーーそんな私が、9月に仕事を辞めて学習期間に入ろうとしています。
仕事のストレスをなくして勉強に注力できることは、とっても有難いことです。
が、仕事のストレスを手放すことが、申し訳なく感じる時があります。
誰に?母に?
「苦労を手放してごめん」て思ってる?
今、自分軸手帳部の実践イベントに向けて、『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』という本を読んでいます。
そこに、「苦手を克服する努力はしなくていい」と書いてあり、少し動揺していまいました。
ずっと、苦手を避けることは罪だと思ってたから。
私はもう、「無理をせず」やりたいことをやっていいのだろうか。
別に褒められなくていいから、いい加減「苦労は買ってでも」の呪縛から自分を解き放ってあげたい。