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みんなと少し討論してみたいこと
こんばんは。凪です。
今日は最近一人で考えていたことを整理してみます。
いくつかの疑問とともに、いまの自分の考えを記したいと思います。
討論ですから、みなさんにもぜひコメントでご自身の意見を共有いただけると嬉しいです。凪の今から記すことを含め、正解はありません。いまご自身が思うところを正直に記していただけましたら幸いです(自分の興味があるトピックだけでも構いません)
では、スタートです。
①Z世代と呼ばれる若者は個性を楽しめているのだろうか?
巷では、Z世代と呼ばれる若者たちはSNSを通じて、他者の価値観や趣味、個性を認め合っている存在、個性的な自分を楽しんでいる存在だと報じられている。
果たしてそうなのかな?
僕はSNSが逆に画一化を助長して、個性を楽しむ余地を排除したと考えている。”いいね”とされるものに縛られて行動している、他者の価値観と一致することで安心感を覚えているようにも見えてしまう。
同じようなメイク、服、髪型、最近は行く場所や旅行の仕方、ライフスタイルまで私たちのありとあらゆる場所に影響を与えている。
こんな報道のされ方や上の世代の解釈は不思議に思う。
②若者はより生きづらくなってるのか?
上述のように若者は個性を楽しんで生きている、一つ前の世代に比べ選択肢が増えて既成概念にとらわれない生き方をしているとすら言われている。
確かに、最近駅でもテレビでも転職の広告が増えた。これは一昔前の日本なら信じがたい光景かもしれない。
![](https://assets.st-note.com/img/1728736776-XIgbZOLd763GvAuPiYryxjkm.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1728736806-ncqeibvBJtuXzGK3LoYrgUjf.png?width=1200)
でも、自分らしくってなんだろ?自分は一体何がしたいんだろう?
ただ、「何かしらの変化を求めている」ことはキーワードな気がする。なぜならこれには勇気が必要かつ、ある程度の代償も覚悟しなければならないからだ。
一方でこんな広告も見かけたことがあるかもしれない。
![](https://assets.st-note.com/img/1728737026-ympcYSUwEJXZqdTisP8x2CNj.png?width=1200)
美容関連の広告に女性ばかりが起用されるという問題は置いといて…
(社会的に?)よいとされる理想と自分が絶えず比較される。SNSでも日々比較の中で劣等感を感じさせられる。
僕がもし女の子なら自己肯定感は毎日ダダ下がりだと思う。おしゃれも頑張ってメイクも毎日して、本当に女の子は生きているだけですごいと思う。(なぜなら僕は寝ぐせ・ジャージ・短パンの院生3点セットだから)
一方で、この広告のように整形をして、インフルエンサーの子たちと似たような服を着て、いろいろすることは自分らしさの表現や自己肯定感の高まりに直結するのか?(もちろん、整形が自分に自信を与えるものであれば大賛成)
若者は孤独より疎外されることを嫌っているように思う。
でももっとシンプルに生きていいとも思う。
③自分らしくありたいけれど…
さっきの転職とも関連するが、”自分らしく”って言われるし、そうありたいけれど…と感じる場面は多々ある。
僕自身、いろいろな事情で人生の約3分の1を海外で過ごしたので、実際に海外で教育を受けて、日本に帰ってきたときギャップに悩んだ時期があった。(優劣をつけるつもりは全くないです!)
日本ではまず”海外かぶれ”のレッテルを貼られ、おりこうさんであることが正解だと教えられる。「いや僕がいた国ではこうだった」と主張すれば、「そっちがいいなら日本から出てけ」と言われたこともあった…。
んー…どうも排外的だし、似たものに対して親近感を覚える民族精神なのかと幼いながらに理解したが、こんな教育制度や社会では“自分らしくあること”が許されていないようにも感じた。
そのため”自分らしく”という広告には少し違和感すら覚える。
本当に多様性が尊重される基盤があるのか、というのは疑問。
みなさんはどんな方法で自分らしさを表現しますか?それも気になる。
④タイパについて(なぜ読書するのか?)
先週、友人となぜ本を読むのかということを議論した。本好きの僕たちがたどり着いた結論は”ノイズを楽しむため”だった。
本を開くと、例えば自分が知りたくもないどうでもいい情報が出てくる(ノイズ)がこれは、核や本質を理解する上で実は重要な意味を持っている場合がある。
しかし、現代は”タイパ”と言われるように目的に最速で到達することが好まれる時代で、”ノイズ”は正直、1番邪魔な存在だ。
ただ、僕はこのノイズが敬遠されることに強い違和感を覚えている。
究極的には「何でも目的化すればいいという話ではない」ということになるが、タイパが推し進められることで”ノイズ”を楽しむ余裕がなくなっている事実が非常に残念。
おわりに
以上、4つについて僕の意見を簡単に述べました。
「最後に少しだけ僕について話すと…」とかしたかったのですが、あまり話しすぎるのもよくないので…今からは聞く側に専念します笑
では、後はみなさんに任せました。
この記事をぜひ一緒に仕上げましょ😊