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another story-ほんとのところ㉞

ようちゃんが言ったとおりに
バースデイライブというだけあって人がいっぱいだった。
お店の外にも待っている人がいた。
その中に前回のライブで
ようちゃんと親し気に話していた女性を見つけて声をかけてみた。

「今日は人がいっぱいですね。入れますかね?」

「バースデイライブですもんね。
まだ、ちょっと席が空いていたから、座れるんじゃないかな?」

「ありがとうございます」

穏やかな話し方をする人だった。
勝手に敵対心を持った自分が恥ずかしくなるくらい。
そうだよね、ようちゃんのお仕事は
ファンがいないと成り立たないのに勝手に嫉妬して、ごめんなさい。

中に入り、予約はしていないのですが
と店員さんに伝えるときょろきょろと見渡して
15人は座れそうな大きなテーブル席を案内してくれた。
ビールをください、と小声で頼む。
ようちゃんとの距離は約2mといったところ。
どうしようと怯んだけれど恰幅の良いおじさんが
私の目の前に座ってくれて、そのおじさんの陰に隠れることができた。

お店の後の方にチラリと視線を向けると
常連さんと思しきおじさんと話しているようちゃんを見つけた。
ようちゃんも私に気付いたようだ。
でも、お互いにどちらからも話かけようとはしなかった。

ようちゃんは自分で気づいているのかな?
演奏中に良く下唇を軽く噛んで上を見上げる顔をする。
たぶん、気持ち良くなっているときにする表情なんだ。
ようちゃんの少しかさついたグローブの様に硬い手のひらを思い出す。

ビールで程よく酔いが回って体がフワフワした。
テーブルに肘をついて顎を乗せて体を支える。
おじさんの陰に隠れてようちゃんから私は見えないはず。
とろんとした目でようちゃんの動きをずっと見ていた。

ふと視線を上げてはっとした。
ようちゃんが私を見つめていたから・・・
私の右手を口元に寄せて指先にずっとキスをしてくれた
目が会うとニコッと笑ってくれた、あのときと同じ表情。
思わず手を引っ込めて膝の上に置いた。
そしてまたおじさんの陰に隠れた。

1SETの終わりにハッピーバースデーの曲。
おめでとう、の声が飛び交う。
その声が止んできたとき、そっと席を立って会計を済ませ外に出た。

ようちゃんは私が帰ったことに気付いたかなぁ。
「なぎちゃん!」と声をかけられなくても、追いかけてこなくても
それでもいいやと思った。

目が会ったときのようちゃんの表情が全てを物語っていた気がするから。

歩きながら夜空を見上げた。
あと数日くらいで満月の大きな月。
初めてようちゃんのライブのときも大きな月が出ていたなと思い出した。



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