痛いもんは痛い【再録】
こんにちは、ナゲです。
こちらはリメイク記事となります。
「元の記事も読みたい!」という方は以下のリンクからご覧ください。
本記事は続編にあたりまして、1本目は以下に再録しています。
多分この記事から読んでも問題ありません。
以下に書き直していきます。
■導入
前回の記事では「やめなきゃなんでもいい」といった話を書いたんですが、共感してくれた方の中でも「じゃあ続けるか!」となかなかなれない人はいるんじゃないかなと思います。
というのも、私は荒んでた頃に「ゲームを続けること自体が辛い。誰かに何とかしてほしい。」とずっと思ってたからです。今回はその時期を思い返して書いてます。継続すること自体が苦しいとき、私はよく『痛みを伴ってる』と言います。そんな話です。
■『痛みを伴う続け方』とは
まず『痛みを伴う』ってどういうことか、をざっくり定義します。
「続けててきついよ~」って感情を色々詰め込んでいる状態を指しています。「面倒くさい」とか「自分の実力不足を直視するのが嫌だ」とか「どうしようもないと思える課題に直面して辛い」とか「際限なく新しい課題が次から次へと出てきて疲れる」とか…です。
これ以降、「痛い」はそういう意味で使ってるんだなと思ってください。好きではじめたはずなのに、続けてるとなんか痛いんですよね。
思い返すと痛みが出る四大要素があったので以下にまとめます。
【痛みが出る四大要素】
1.成果を求めすぎ
⇒「このランクや勝率に到達したい…」とか「大会で上位に残りたい…」とか思いすぎる。
2.過程を大事にしすぎ
⇒「こんなに練習してるのに…」とか思いすぎる。
3.比較しすぎ
⇒「あの人は、俺よりあとから始めたはずなのにあんな強い…」とか思いすぎる。
4.反省しすぎ
⇒「俺はなんでこんなことが出来ないんだ…」とか思いすぎる。
身に覚えありすぎて書いてて辛くなってしまった。
出来ることが増えるだけじゃなくて、逆に出来てない部分がハッキリわかってきたタイミングで、上に書いたような感情がじわじわ浮かんできた気がします。「イタタタタタ!!!!」じゃなくて「う……うぁ…………」みたいな鈍痛のイメージ。
成果を振り返る。その上で過程を確認する。更にどういう状況にあるか比較する…別におかしなことは書いてないはずなんです。ただどこかのタイミングで『しすぎ』の域に入ってしまう。
他の記事でも書いた気がしますが、今回の記事がガン刺さりする人ほど、『出来ることを蔑ろにしまくっているから、自分がどこまで出来てるかがわからなくなり、考えの基盤(迷ったときに立ち戻れる基本の考え)が作れてない。というか、なんなら壊してる』状態なんじゃないかなーと思います。私がそうでしたので。
■痛みを伴わない続け方
こう考えたときに、対処自体はわりとシンプルで、逆のことを考えると良さそうです。
1:成果を求めすぎない
⇒「なるようにしかならね!」とか思う。
2:過程を大事にしない
⇒「続けてて当然!」とか思う。
3:比較しない
⇒「比較してもしゃーねぇ!」とか思う。
4:自画自賛もする
⇒「俺めちゃくちゃうまくなってるじゃん!」とか思う。
この辺りに対しての考え方が、他の記事に繋がってくるなと思います。
2について補足で、上のように書くと厳しく見えるんですけど、続けることに対しての抵抗は極力少ないほうがいいと思うんですね。
いわゆる「習慣化する」って話です。
ご飯つくったりご飯食べたり洗い物したり買い物いったりお風呂入ったり掃除したりとか、日常生活でちょっとだけ面倒だけど「まぁやるかぁ~~!!」って選択をするレベルにはしたい。続けるためのハードルをとにかく下げる。そうしないと、続けること自体に負荷がかかって、一度やらなくなるとまたやり始めるのに時間がかかっちゃう気がします。
4は別記事で思いっきり書いてるのでよかったらコチラもどうぞ。
注意点としては、"痛みを伴いながら続けること自体"を習慣化してはいけない、ということ。
「痛くても上達目指すぞ!」って気概で取り組んでいるならともかく、継続してたら自覚せずに痛みが発生してきた…とかであれば、一旦リセットするほうがいいかもしれません。
■"上達"したいなら
痛みを伴わない継続が出来る前提で、痛みを伴うタイミングを適度に作るのが良い…になるのかなと。ちなみに、痛みが無いと成長している実感がわかないという人は、痛みを常に受け入れながら進む地獄コースなんかもあります。(地獄コースは大げさな比喩ですが、痛みを受け入れて進む話は別記事で…)
いやまぁ、ここの塩梅が難しいのは重々承知しているのですけども。最初は痛くなかったのにドンドン痛くなってて更にそれを自覚してる状態って、単純に自分のキャパを超えてるからだと思うのです。
私自身が「才能が無い…もうダメだ…おしまいだぁ……」となったとき、
課題点を列挙するとか絶対してなかったし、書き出してたとしても「自分には才能がないのでやる意味がない」とか考えてました。キャパを超えた結果、考えるのを放棄して、どうすればいいのかわからなくなってしまった。呻いているときほど解決するための行動をとっていない。
こうなっちゃうと正論言われても耳を閉じてる状態になりやすいので、人から話を聞ける余裕がある間に、痛みを自覚したら取り組み方を調整していくのが良いんじゃないかなと思います。
自分の経験則でもうちょい書きたいことあるので、蛇足と余談を1個ずつ。
【蛇足】「才能やセンスがない」という話
「才能が無い」とか「センスが無い」…いわゆる「どうしようもなく適していない」という類のフレーズは、やめるときの理由として最後の最後に発言するまで取っておくのが良いと思ってます。
「才能が無いから、これをたくさんやってみよう」とか「センスが無いから、ここの過程はもっと理解しよう」とか、前向きな発言をくっつけないと、ずっと痛いままです。まじでずっと痛いままでした。
あと「自分には才能がない…辛い……」的な発言をあまりにも連呼しているとですね、周りから出来るアドバイスも「他の人もがんばってるよ」とか「そんなにつらいならやめなよ…」とかになってくるんですね。
よりダメージを負うので注意しましょう。体験談です。
愚痴を言うのってこれはこれでめっちゃ大事なのですけど、聞いてくれる関係性の人へ、適度な頻度で吐くのがいいと思います。
適切な頻度でなくなってしまうのであれば、取り組み方自体を見直したほうがいいです。
…と、リメイク前ではここまで書いてました。最近ですと、上記のような発言を連打してる方の対処は「放置してそっと離れる」かなと思います。私が好んで使う言い回しですが、ガス抜きとガス漏れは違うんですね。ガス抜きに付き合う人はいても、ガス漏れからは離れるしかありません。
昨今はオンライン上での活動がかなり活発ですし、情報交換も盛んに行われている印象です。横の繋がりが切れることは、すなわち上達する難易度を上げること、だと思います。上達するのが目的だとしたら、目的から遠ざかる行為になってそうですよね。
【余談】友人に言われた楽になった一言
ゲームセンターの全国大会予選の個人戦で、一時期もう全然勝てなかったんですね。
予選は毎週のように各地で開催されるのですが、最初から最後のほうまでずーっと予選敗退してて、東京から茨城へ行って1回戦で負けてすぐ東京帰った…とかしてました。
勝てないけど予選の枠は限りがあるから出ないといけない…って唸ってたとき、友人から「怪我してる状態だと思っておくぐらいがいいよ!」って言われたんですね。
これが本当にすとんと腑に落ちました。
「あぁ、ぼくは今これ"怪我してる"状態なんだな」ってめちゃくちゃ自覚できました。当時はEVOからの帰国直後からずっと予選に参加しており、大会疲れや負けをなんやかんやで引きずっていて、それがわからずにどんどん調子を悪くしてた気がします。
怪我であるとするなら、今は苦しいけど自然治癒するレベルだろうと自覚を持てたし、それを待とうという気持ちになれました。
予選はずっと続いたので参加しつつも「いま結果を求めてもしゃーないし、本戦でれなかったらゆっくり休もう」って思えるようになりました。(当時でれるイベントは極力全部でてた)
そしたら最後の最後で予選通過したのだけど、その前の予選から「治ってきたな~」って気持ちがありました。
このめっちゃ些細な自覚が本当に効いたんですね。
「よくわからないけどずっと調子が出なくてどうしていいかわからない」から、「いま怪我してるなら結果出すよりも怪我が広がらない範囲で動こう」になったし、その後も「あ、いま怪我してるからちょっと休もう」みたいに思えるようになった。
以降、休むことへの恐怖心が薄まったというお話でした。
自分が置かれている状況を慢心も卑下もせずに判断する、は大事なスキルだなと今でも思います。
色々書きましたけども、それなりに上達しながら成果出そうとすると、やっぱりそれなりに痛むってときがあると思うんです。
私の理想は「痛いとか痛くないとかを考えず、ずっと遊び続けられる人になる」で、「楽しんで遊ぶ!」ってよく言ってるのはそれを意識するためですね。だから「がんばる」って言葉もなるべく使わないようにしてます。がんばりたいわけではないので。
【書き直しを完走した感想】
元記事は2020年9月頃ということで、ちょうど4年前です。
自分のスタンスは当時からほとんど変わってないですね。
最近は「GGSTから始めた」という新規プレイヤーの方々とお話する機会がめちゃくちゃ増えました。びっくりするほど上達が早くて、自分なんかは初めて数年でこんなレベルまで来れてなかったよな…とよく思います。
痛みを伴わずにずっと遊んでもらえたらいいなと思います。キツくなったときは「こういう人いたんだなw」ぐらいで本記事を思い出してもらえたら嬉しいです。
それでは。