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倭奴国,極南界(後漢書東夷伝)

本文は、「邪馬台国・倭国」三十国比定の音形読みによります。

「倭国」倭王国、「邪馬壱国」倭王国の初まり
〇「倭(和)国」の誕生は、中国「始皇帝」誕生の数百年以前に「九州人国と狗邪韓国渡来人」が連合して生まれました。

〇「倭国」は、中国「始皇帝(紀元前221~210)」時代に「始皇帝」から「徐福船団」その他多くの援助を受け、東海の三神山に向かって船団を出航した「徐福船団」の最初の仕事が、韓半島先端の「狗邪韓国」を占領することでした。

「狗邪韓国」占領し「狗邪韓国王」を捕らえて船団内に伴い「倭国」に移住した「徐福船団」は、筑紫平野内に居住地を与えられて「邪馬壱国」を建設しました。
そこで「狗邪韓国王」の下に「狗邪韓国渡来人国」を統率し、

「徐福船団、狗邪韓国王」体制内となった「狗邪韓国渡来人国」に連合である「九州人国」を従属連合して「倭国」を征服し「邪馬壱国」倭王国が誕生しました。

〇「倭国」を征服した「邪馬壱国」倭王国は、「倭国」内倭王権者を国内に拘束監禁して、
拘束監禁の「倭国倭王権者」の倭王権を代行した倭王権で「倭国」を治めました。

〇「倭国」の倭王権を代行した「徐福、狗邪韓国王」の倭王権を「徐福」は、親族と思える女子に委譲して「倭女王・卑弥呼」を生みました。

〇「狗邪韓国王」の倭王権は、「狗邪韓国渡来人国」盟主王の「斯馬国・伊万里湾地区王」に委譲しました。

〇「卑弥呼、斯馬国・伊万里湾地区王」倭王権者は、「狗邪韓国渡来人国」内の「伊都国の糸島」内に駐屯して倭王権の執行を行いました。

※「斯馬国・伊万里湾地区王」は、「伊都国の糸島」内で「三官(爾支、泄謨觚、柄渠觚)」と記された倭王組織を組織しています。

〇よって、中国「魏」の遣いが,真の倭王国と錯覚して「伊都国の糸島」内に駐在しました。

〇紀元前200年代~西暦57年という長い王権執行内で「徐福」の権威が薄れ、「斯馬国・伊万里湾地区王」が主導権を握った倭王権執行権で同族内の「奴国王」に倭王権を委譲して「卑弥呼」を軟禁しました。

〇「魏志倭人伝」内で「魏」の使者が「伊都国」内に駐在しましたが、「魏」の使者と「卑弥呼」は隔離されて面会していないと思われます。


「倭奴国」

「奴国」を体制内とする「狗邪韓国渡来人国」は、初め九州人国に連合されて「倭国」を生み、
次に、中国「始皇帝」の援助を得た「徐福船団」が「倭国」に移住した際には、「徐福、狗邪韓国王」体制の「邪馬壱国」に連合して「倭国」を征服しました。

そして、「邪馬壱国」の倭王権を委譲された「狗邪韓国渡来人国」の盟主王である「斯馬国・伊万里湾地区王」は、「卑弥呼」を拘束して「卑弥呼」の倭王権権利を「奴国王」に代行させました。

つまり、「倭国」の倭王権と「邪馬壱国」倭王権を合わせた「倭国」倭王権を活用している「奴国王」という意味が「倭奴国」になるかと思います。


「倭奴国」の場所は、「極南界」です

(極の意味 … きわめる きわまる きわみ きめる)

「極」の意味と「奴国王」倭王権者の居住地を考えるに、倭王権者となった「奴国王」は「奴国」内から離れて「斯馬国・伊万里湾地区王と卑弥呼」が駐屯する「伊都国の糸島」内に移動して倭王権を振るいます。

ここで、倭王権者が “きわまる” 「伊都国の糸島」内となる “(界)くぎり内、しきり内” とちょとくるしい解釈をしますが、「奴国王」倭王権の場所は、「伊都国内の糸島」となります。

「南」について…「魏志倭人伝」内での「南」の使い方共通点は「倭王権者」いるということです。
〇「投馬国」内には、… 「邪馬壱国」を征服した「弥弥(狗奴国王)、弥弥那利(倭国倭王権者)」がいます。
〇「邪馬壱国」内には、… 「卑弥呼」の後を継いだ「台与」がいます。
〇「奴国」の南の「狗奴国」… 「投馬国」内にいる「邪馬壱国」を征服して倭王権を得た「狗奴国王」の母国です
〇「末盧国」から「伊都国,奴国」への方向として書かれた「東南」の「南」は、「邪馬壱国」倭王国から委譲された倭王権で倭王権執行を行っている「伊都国の糸島」内「卑弥呼、斯馬国・伊万里湾地区王」の代行倭王権者です。


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