若手教員の授業を数値で評価する危うさを問いたい
[若手教員の授業を数値で評価へ 大阪市教委、子どもにはアンケート]
と新聞で発表されました。
https://asahi.com/articles/ASQ295TJYQ29PTIL01S.html
このニュースに私は2つの疑問が湧いてきます。
・なぜ若手教員なのか?
・授業を数値で評価することは可能なのか?
まず
・なぜ若手教員か?
です。
若手教員を成長させることが目的で、OJTの一環として評価するのであれば、評価基準を作る側もそれを受ける若手にとってもメリットがあるでしょう。ところがそもそもの発端が
というのですから、だいぶ方向性がおかしいことになっています。
まずゴールが「全国学力調査」の結果を上げること(しかも日本の中で比べるだけのこと)ということ。
どの組織でも同じで、学校でも管理職含めた全年代が課題を抱えているのに、まるで若手だけの問題にしているようです。
若手はICTを簡単に使いこなしますし、何より時代の変化に敏感です。
ベテランより授業力は未熟であっても、テクノロジーの感覚と多様性の感覚はベテランより素晴らしい面があります。
なぜ若手だけをターゲットにする必要があるのでしょうか?
次に
・授業を数値で評価することは可能なのか?
です。
教員には「見取り力」というものがあり、子供達の成長を広い目で見ています。決して成績に現れなくても、別の側面で子供達は成長していており、それは教員の見取り力によって育まれている面もたくさんあります。それは数値には現れないものも多いのです。
授業を数値で判断するということは、子供達の成長を数値で測るということですが、数値には向いていないものがあります。
たとえば対話力。
数値化するというなら、例えば、グループディスカションでの発言の量が多い人が対話力があるというのでしょうか。そこまで短絡的ではないでしょう。
一方、マイノリティーの対立した意見をもった相手を蹴落とすことなく、聞く力によって引き上げている児童・生徒がいたとします。決してコミュニケーションの量は多いわけではありません。もしかしたら周りからは暗く静かに見えるかもしれません。でもその子がとてもいい対話を生み出している可能性があるのです。
これって測れるでしょうか?
「ならば”対話の質”を見ればいい」と考える人もいるかもしれませんが、子供達は「正解のない問題ばかりの社会」に飛び出していくのです。そのときの対話の内容の正解が、数値で表せられるとは思えません。まさか多数決で決めるなんてしないですよね。
実は、ここに学び合いの場づくりをしている教員の「見取り力」が発揮されているのです。見た目にはそうは見えないので周りから見ても気づかないかもしれません。それくらい小中学校の教員というのは職人であり専門職なのです。
偏差値とドリル屋さんに便利な世の中はそんなに楽しいですかね?
皆さんはこの大阪の「若手教員の授業を数値で評価」をどう思いますか?