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つれぴは「幸せ」がわからない

ワイら夫婦は話し合いを好みます。
つれぴとの付き合いも10年を超えたんかな。
話し合いを好み、話し合いを重ねたワイらにとって、最難関の話題が「幸せについて」です。
これ、何度も話し合っているのですが、
つれぴの「幸せがよくわからない」で途絶えてしまうんですね。
イメージしやすいように、会話を乗っけておきましょう。

つれぴ「幸せがよくわからないんだよね」
ワイ「たとえばご飯食べておいしくて、幸せだなーとか、楽しい!嬉しい!みたいなのあるじゃん。あれよ」
つれぴ「でも、悲しくても怒っても幸せを感じることはあるじゃん。後から考えてみたら、ああやって怒れたのは幸せだったとか。だとしたら、幸せと感情は関係ないのでは?」
ワイ「関係はあるんじゃないかなぁ?」
つれぴ「そうかなぁ?」
ワイ「えぇ?????」

綺麗な地平線

これです。平行線。どこまでも続く地平線って感じ。

定期が難しいんですよね。
つれぴはどうやらこの定義がうまくいっていないらしく、納得する定義に出会えていないそうです。
だから、わからんということでね。
wikiさんに聞いてみました。

幸福

心が満ち足りていること。幸せともいう。

感覚はわかる。

満ち足りてる…………ね…………


心理の業界でも「幸せ」は研究されまくっている分野です。
主観的幸福感尺度という有名な尺度があるレベルです。
尺度というのは、いわゆるアンケートの内容のことを言うんですが、これが作られて、普遍的に用いられるのってなかなかなんですよ。
万単位の人たちがそのアンケートを受けて、「正確に測れてるね!」っていうのがわかるわけですから、どれだけ研究されまくってたんだ、ってことなんですわ。

そうやって研究しまくっている「幸福」という分野は、まだ研究されまくっているし、新しい事実がわかったりするもんだから、未知の部分が大きいわけです。
現時点で、心理学的にわかっているのは、
幸福を感じやすい人にはある特徴がありそう、くらいなものです。
4つ項目があります。

1.主観的に生きている人
2.楽観的である人
3.自分自身が好きな人
4.外向(興味関心が外部の事柄に向いていること)的な人

わかる気がしますね。

主観的に生きてるやつが強えって話

さて、ここからはワイの主観を述べましょう。
ワイは「幸せ」を「ワイがよしとしている状態」と定義しています。
どんな状態であれ、それがワイにとって「よし」であれば、「幸せだ」ということにしています。
ですから、今、ワイは「幸せ」と言い切ることができます。なぜなら、「よし」としているので。

側から見たら、ワイの生活は「よし」と言えないかもしれません。
ワイの仕事は不安定ですし、
つれぴは持病を持ってますし、
貯金があるわけでもないですし、
すぐ体調不良になりますし。
とはいえ、ワイは、今の生活は居心地良いですし、そりゃしんどい日もありますが、総じて「よし」を維持しています。
「幸せ」は圧倒的主観の概念です。
故に、ワイが幸せってんなら、幸せなわけですね。

俺がよしって言ってるんだ!の気持ちは、結構重要だと思います。

ワイはつれぴと結婚するとき、「こいつとなら不幸になってもかまわない」と思いました。
この時の「不幸」の定義は、
「他者から見た、良しではない状態」でした。
きっと今のワイのこの生活を「不幸」という人もいるかもしれません。
ま、でも、ワイは「よし」としてるのでね、関係ありません。
ワイの「幸せ」はワイが決めることです。

皆さんの「幸せ」は、皆さんが決定することです。
皆さんにとっての「幸せ」の定義も聞いてみたいところです。
ということで、ワイはまたつれぴと喧喧諤々の論争をかましてきますね。
幸せね。

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