コンサルタントの加点回帰 Vol.3:アメフトでビジネスを学ぶ
PR・コミュニケーションコンサルタントの加点回帰 第3回は、私が大学~社会人にプレーしていたアメリカンフットボールから学んだことをご紹介します。広報やPRとの直接的な関係は薄いですが、新たな道に進む自分自身を鼓舞する内容だと感じています。
【タイトル】
アメフトでビジネスを学ぶ(2009年9月7日発信)
【本文】
私は大学~社会人の約10年間、アメリカンフットボールをやっていました。
一般の方々はアメフトに対して、球技というより格闘技に近い荒々しいスポーツというイメージを持たれているかも知れません。
実際、クォーターバック(QB)という皆に守ってもらうポジションの私でさえも骨折、脳震とう、靱帯切断…と病院には何度もお世話になりました。
(おかげで、MRとして担当していた大学病院の整形外科・脳神経外科の先生方とは親密になれましたが)
しかし、実際のところアメフトは極めて緻密で組織的なスポーツであるとともに、ビジネスの基本要素を学ぶ場としても大いに役立つと思います。
私自身、チームワークの大切さをはじめアメフトから学んだことは数多くありますが、特に印象深いのは以下の3つです。
1.チームワークの基本は個性や特長を尊重した“適材適所”
体が大きい、走るのが速い、肩が強いなどはもちろん、他人の邪魔が得意、相手のクセをすばやく見抜く、など各メンバーのチームへの貢献方法は実に多種多様です。
強い組織をつくるには多少の欠点は気にせず、また全員に同じことを求めるのではなく“長所に着目した適材適所”が重要であることを学びました。
2.何もしないのはプラスマイナスゼロではなく“明らかにマイナス”
アメフトは、前のプレー終了から25 or 40秒以内に次のプレーを開始しないと反則となります。つまり“決断しない”or“行動しない”のはゼロではなくマイナスなのです。
クライアント企業の方々に対してもそうですが、気を抜くと“事なかれ主義”になりがちな自分自身にも“行動しない者は存在意義なし”と常に言い聞かせています。
3.いざという時に頼りになるのは“文脈”
QBは次にどんなプレーをするかを決め、それをチームメンバーに伝える司令塔的な役割を担っています。
通常は1シリーズ3回ずつ攻撃できますので、個々のプレーではなく3回1セットさらにはゲーム全体のストーリーを考えながらプレーを選択します。
もちろん対戦型のスポーツですので、時としてプレーが失敗するのはやむを得ません。
しかし、試合中にメンバーから「プレーの意図が読めない」「なぜ今、このプレーを選択するか分からない」と言われるのは最悪ですし、これでは絶対に勝てません。
プレーの目的や自らの役割、すなわち“文脈”を共有するには、単にプレーを覚えるのではなく目・耳・そして肌から吸収して理解することが必須です。そのためには、日頃の丁寧なコミュニケーションとプレーを体に刷り込ませるための地道な反復練習が欠かせません。
「文脈の共有なくして、華麗な連携プレーなし」ということにもっと早く気づいていたら…、この反省は今の仕事に活かしたいと思います。
【2020年8月22日の書き加え】
この10年の間に母校は全日本大学選手権に出場するなど地区リーグの強豪校の1つになりました。(それ自体は誇らしいのですが、「80年代後半から90年代前半の低迷期を乗り越え…」との紹介記事を目にした時は当事者として責任を痛感し、少し悲しい気分になりました…)
所属していた社会人チームはコージ・トクダ選手が加入したことでも話題のみらいふ福岡SUNSへと生まれ変わって躍進を遂げ、今度さらに強くなる可能性大ですので、ぜひご注目いただきたいと思います。
本題のアメフトから学んだことについては、“長所に着目した適材適所”は前回の記事でも触れた「ダイバーシティ&インクルージョン」などの形で目にすることが増え、特別なことではなくなっていると感じています。また、「“適材適所”を謳う以上、一旦任せたら最後まで仲間を信じ抜く」は頭で理解できても実践するのは難しいことを様々な経験を通じて学びました。
“文脈(context)の共有”については、暗黙知や阿吽の呼吸に頼り過ぎずに「要点を簡潔に伝える説明力の強化」「違和感を放置せず、気軽に質問や意見ができる組織風土づくり」に取り組むことが重要だと感じています。
一方、“何もしないのはプラマイゼロではなくマイナス”については、勇気を持って行動したことが裏目に出たり、様子見を決め込んだほうが得だったりすることもあるので、我ながらやや綺麗事という気がしています。
ただ、これまでの人生を振り返ると成功より失敗から学ぶことのほうが多く、体験記憶には“感動”という要素が付与されていることもあり、学習記憶より深く心身に刻まれていることは明らかなので、決して無駄ではないと強く信じています。
年齢を重ねると挑戦することへの恐怖心や羞恥心が生まれがちですが、自らの人生の観客席ではなくフィールドにいることを常に忘れず、今後もプレーを続けていきたいと考えています。(思いがけず10年前より青臭い内容になってしまいました)