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エッセイ:戦争に「沈黙すること…」

いくさいく人
いくはてはるか

なんのために
手にもつ銃か

沈黙しないで
叫んでほしい

ただ生きていたいと
叫んでほしい

いくさに泣くは
おさなごひとり

どうして母の
胸に戻れぬ

沈黙しないで
叫んでほしい

ただ生きていたいと
叫んでほしい

いくさのなかで
焼け落つわが家

いまはだれも
息さえしない

沈黙しないで
叫んでほしい

ただ生きていたいと
叫んでほしい

沈黙しないで
叫んでほしい

ただ生きていたいと
叫んでほしい

🌷戦争が無駄だということは、いうまでもないですね。
 本当に誰も幸せになれないのに、戦争は一度始まると、止まることの知らない巨大な歯車になって動き出し、その歯の中に全てを巻き込んで破壊し尽くしてしまいます。

 なんのために戦っているのか。
 もちろん、戦っている間は攻める方も守る方も何かしら意味をそこに見出して戦争はしなければならないと思うのです。
 ところが、戦争が終わると如何にそれが無駄であったかがわかってしまう。
 そのために命を失った人、記憶に苦しめられる人、残されるのは悲しみと後悔以外のなにものでもないのですね。

 ロシアとウクライナの戦争は続いています。
双方のなんの国際政治にも関係のない人びとが、そこで命を奪われ、なにも得ることなく、大切な人と心を失っています。

 奪う土地も守る土地は、空を飛ぶ鳥にとっても、大地を走る野うさぎにとっても、誰のものでもありません。

 ロシアは第二次世界大戦にナチスドイツから侵攻を受け、その大都市であるレニングラードは二年間にわたって、ドイツ軍に包囲されても抵抗して戦いました。
その時のロシア人の耐え抜いた歴史を、作曲家のショスタコーヴィッチは第七交響曲に書きました。「レニングラード」という作品です。
激しい鬼気迫る戦争の暴力と、それに対抗する苦難の力が音楽によって表現されています。
ロシアの人が誰もが知っている楽曲です。

 それほどに、耐え抜いて、多くの犠牲を出しながらも守り抜く苦難という辛酸を舐めたロシア人たちが簡単にそれを忘れてしまって、今はナチスドイツがやったことと同じことをしてしまっているのです。

 戦争とはその時点で自分がいったい何をしているのかわからなくなるのですね。

 これは、人も同じでしょう。
ふと気がつくと、とんでもないことをしていたり、手伝ってしまっていたり。

 戦争とはそういうものだと思います。
 争いとはそういうものだと思います。

 後になって悲しむより
 後になって後悔するより

 いまなにか出来ることがあれば!

 沈黙しないで
 叫びつづけてほしい

 ただ生きていたいと
 叫んでほしい

 わたしたちは
 決して、決して、沈黙してはなりません。
 決して、決して、目をそらせてはなりません。

 今起こっているこの戦争から。

 ウクライナの戦争が始まった頃、連日の報道で、テレビのコメンテーターの学者さんが言っていました。

「悲惨な報道ですから、テレビを観るみなさんも憂鬱になりますから、テレビや報道から距離をとるようにしたほうがいいでしょう」

 そうでしょうか?

 それは沈黙につながる道。

 今、まさに戦争から距離をとることなどできない人たちがいる。

 命を落としている人たちがいる。

 それは、ウクライナの人たちでもあり、ロシアの人たちでもあります。

 わたしたちは
 決して沈黙してはならないし、盲目になってはならないと、わたしは強く思います。

 沈黙しないで
 叫んでほしい

 ただ生きていたいと
 叫んでほしい

 どうか、自身の心のなかで
 そして、
 友だちに、家族に、親に、子どもに
 だれにでも
 叫んでください……

 ただ、生きていたいと

 叫びつづけてください……

🌷

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