エッセイ:戦争における人間の死にざま
鈴木邦夫氏の著書『歴史に学ぶな』(2014年,dZERO刊)の序章に次のような一節がある。
だから戦争について議論をすると、「今、日本が戦争したら、この軍事力で勝てるのか」とか、「領土奪還しなければ」などと、まるで一億総軍部のような上からの視点になる。過去の戦争にしても、「あの作戦が間違いだった」「あの時点では勝てる見込みがあった」などと、技術論、戦略論を交えて楽しそうに語る。
戦争の時、庶民はどうだったのか、一兵卒はどうだったのか。「国を守るためにこんなに多くの人が死んでいった」という美化された話ばかりが蔓延し、暗くて悲惨な実態は歴史の表舞台に出てこない。
(鈴木邦夫『歴史に学ぶな』株式会社dZERO、2014、P15)
鈴木氏の指摘は今日、我々が失っている重大なものに対する警鐘であると思えてならない。
太平洋戦争での大空襲と阪神淡路大震災を体験した小田実氏はかつて戦争や災害で理不尽な死を遂げることを「難死」と呼んだ。僕たちはどこまで小田実氏が説く「難死」を理解できるのであろうか。そして想像することが出来るのであろうか。
今日は僕が思う戦争に関しての「人間の死にざま」についてのいくつかを記してみたいと思う。
戦争における人間の死にざま・・・それは地球上、唯一人類にだけに与えられてしまった問答無用の悲劇である。
僕が戦争というものを意識しだしたきっかけは9歳の時に訪れた広島の原爆資料館だった。
1970年代当時、広島原爆資料館の展示物や展示写真は今のそれと比べると、それこそ比べ物にならないほど悲惨で恐ろしいものだった。人間の写真がそこには多くあった。そこにあるのは戦争における本当の人間の死にざまである。
僕はその時まで、伝え聞いていた戦争というものが、これ程恐ろしいものとは思ってもみなかった。
僕にとっての戦争とは大砲を撃って敵戦車を撃破したり、戦闘機同士が撃ち合う空中戦をすることであった。地上戦にしても銃を撃ち合って敵を打ち倒し突撃前進するのものだと漠然と思っていた。それはまるで映画の場面のように銃が火を放つとバタバタと兵隊たちが倒れてゆく.......そういうものだと考えていた。
しかし、原爆資料館が僕に突きつけて来たのは人間の死にざまの実態だったのだ。
戦争をすれば人間はこんな、通常では有り得ない様な悲惨な姿になって死にざまを見せるのだ。
僕の中に走った恐怖と戦慄は一言では説明することが出来ない。
小学生の僕は殆どノイローゼになった様に夜は灯りを消して眠ることもできなければ、食事もろくに取ることが出来なかった。
いつも、あの原爆資料館で目の当たりにした戦争の死にざまが思い出されるのである。
逃げようにも逃げられない。記憶から消すこともできない。見てしまったものの大きさは計り知れなかった。
その直後に僕は学校の図書館でナチスのユダヤ人大虐殺........ホロコーストについての本を読んだ。
その中には少なかったが考えもつかない人間の死にざまが写真として収録されていた。
衝撃は原爆と相まって僕の心を直撃した。
僕は可能な限り大人の本でホロコーストや強制収容所についての本を読みあさった。
そこには無数の写真があり、そこには無数の考えられない人間の死にざまがあった。
ダッハウにもマウトハウゼンにもアウシュヴィッツにも......。
以来、9歳から現在に至るまで僕は戦争から逃れることができなくなってしまった。
それは戦争における人間の死にざまから逃れられなくなってしまったのである。
高校生の夏、自由研究課題で僕は戦争の体験を集めることにした。
人づてに紹介してもらった元日本軍兵士、南京での虐殺に参加したという人の話を聞いたときのことは未だに記憶から薄れることはない。中小企業の社長さんだったこの元兵士の人は中国軍捕虜と婦女子を南京で虐殺した時のことを「勉強」のためならと話してくれたのだった。
彼は温和で柔かな対応だったが、兵士や女性を殺害したところに差し掛かると、表情がこわばり声のトーンが恐ろしく低く控えめになった。
銃剣で捕虜の腹部を刺し貫いた時の手に残る感触が豆腐を突いたようであったとう話や、自分が殺した女性の見開いた目が夢に出てくるという話と共に、それを語る彼の全身からは異様な何かが発せられ、僕の肌に浸透するように伝わってきた。そこには戦争における人間の死にざまが横たわっていたのだ。
やがて、その異様な何かは突然乱れた波長になって僕に迫ってきた。
彼は静かにむせび泣きを始めたのだ。
この元兵士の社長さんはまた柔かになって玄関まで見送ってくれたが、証言した様子とは全く別人のようだった。
ある中国人留学生の話はこうであった。
彼女が日本へ留学するといったとき、彼女の祖母は泣いて行くのをやめてくれと嘆願したという。
その祖母は子供だった頃、目の前で叔母がやって来た日本軍兵士たちに強姦され、制止しようとした叔父がその場で惨殺されるのを目の当たりにしたからだった。
絶対に日本人と恋愛したり結婚したりしないでくれと祖母は約束を迫ったっという。
これはその家族の中の話である。
先の元兵士の話も留学生の祖母の話も、そこには戦争における人間の死にざまが生々しく横たわっている。それは僕が9歳の時、広島原爆資料館で見た、あの恐ろしい人間の死にざまに他ならない。
僕が聞いた元兵士の体験を思えば、僕にとっては南京事件に関して犠牲者の数などどうでも良くなってくる。日本であれ、中国であれ、そこに介在する国家の威信であるとか、誇りであるとか、名誉であるとか、そんなことを語ること自体が既に何か無表情でグロテスクに感じてしまう。
30万人であろうと、10万人であろうと、5万人であろうと、100人であろうと......そこには人間の恐ろしい死にざまが横たわっているのだ。
僕は元兵士の人と1対1で話したあの体験を思い起こせば到底、虐殺がなかったなどということは思いもよらないのである。
家族内で起こった家族のさざ波に関する留学生の話が嘘であるなどとは到底思えないのである。
僕は戦争の死にざまを直接体験したわけではない。
しかし、それが写真でありフィルムであり、証言であり、間接的であっても戦争の人間の死にざまを体験してしまった以上、戦争をしても良いのだなどという威勢の良い意見や考えを簡単に受け入れることは出来ない。
昨今、簡単に中国との戦争であるとか、韓国との戦争であるとか、あるいは過去の戦争の歴史が事実ではないとか、こうすれば日本は戦争に勝てたとか、そういうことを主張したがる人々の本を見かける。どの本も美しく机上の物語であるかのようだ。そこに戦争の死にざまは見えては来ない。
しかし、恐ろしい戦争における人間の死にざまを知っているならばどうだろうか。
銃弾に当たれば肉体は飛び散り、爆弾が落ちれば人間がバラバラになる。
原爆や水爆が落ちれば人間は誰が誰だか分からなくなるほど人間の姿ではなくなる。
今、我々の時代に欠けているのは戦争における人間の死にざまを知ることである。
昭和40年代の小学生向けの歴史学習漫画で太平洋戦争の巻には原爆も含めて戦争での人間の死にざまが描かれていた。
今の学習漫画にはその様な描写は殆ど見られなくなってしまった。
映画にしてもテレビにしても、戦争における人間の死にざまは希薄になってしまった。
それどころか、戦争を美談にして語る。戦争における人間の死にざまを不在に感動し、涙して美しい物語に昇華させてしまう。
銃弾で撃たれても、爆弾で吹っ飛ばされても、銃剣で刺殺されても、映画やテレビのようにキレイに死ぬことはない。ベッドで上で死ぬことしか想像できない我々の日常に根ざした死にざま観など戦争における死にざまによって粉々に打ち砕かれてしまう。
本当に戦争が恐ろしいのは死にざまに遭遇するかもしれない・・・自分たちもそうなるかもしれないということだ。
もっと、もっと、我々は戦争における人間の死にざまを体験しなくてはならない。
僕が9歳の時、広島で見た「戦争における人間の死にざま」を今の子供たちにも伝えなくてはならない。根拠のないレイシズムに支えられた、あのホロコーストの姿を伝えなくてはならない。
そして、それが自分たちの世界にも容赦なく入り込んでくることを想像する力を持たなくてはならない。
戦争が起これば確実に通常では考えられない人間の死にざまがそこに待ってる。
それを恐るることが果たして敗北主義であろうか。
これは人類に与えられた避けられない運命であると容認できるのであろうか。
僕には到底そうだとは思えないのである。