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ガンバルナー日記★第四回「正しい答えを解読せよ!」

ガンバルナー日記★第四回「正しい答えを解読せよ!」
2024年9月30日

小学校に通っている頃の話しだ。

国語の小テストが生徒に返却された。

青一色で刷られたプリントには、先生の朱色の色鉛筆で⭕️❌がおどっている。

友だちのナカタニが、叫ぶ。

「えー、これなんで、間違いなん?」

その声に級友が集まると、最後の問題の回答にに❌が大きくついていた。

その問題とは?

※「いわば」という言葉を用いて例文を作りなさい。

さあ、どんな回答が適当かなぁ?

「いわば、これは音楽だ」

もっと、かっこよく!

「傘を打つ雨音のリズム。これは単なる雑音ではなく、いわば、音楽そのものだ」

とかね。

考えると、
けっこう難しいよねぇ。

例えるならば、という意味の「いわば」という言葉だ。

ナカタニくんの回答には❌がついていた。

その回答を見た級友はほぼ全員が笑った。

なんと回答されていたのだろう?

「さるが、いわばでしんでいた」

なんじゃ、そりゃ!

漢字で書けば

「猿が岩場で死んでいた」

岩場、って、それ、いわば違いじゃないかー。

思い返せばボクも笑った。
みんな爆笑だったよ。

猿って、ニホンザルかあー
しかも、死んでる!
これ見つけたん、誰やねん!

「さるが、いわばでしんでいた」

「いわば」を「岩場」と解釈したのもおかしいが、猿が死んでいるって展開、しかも、これが「死んでいた」と過去形になっているところが・子ども心にも絶妙におかしかったのだぁ。

出題の意味を取り間違えてるのが、なんといってもおかしいうえに、例文の状況がまたおかしい。

今思い出しても笑ってしまう。

でもね、
ここでちょっとコレ
想像してみようー

「猿が岩場で死んでいた」

海だか、山だかわからないが、誰かが岩場を
歩いていると、岩場の陰でぐったりとニホンザルが息絶えて、そこに骸をさらしている。

うーん
どう? この情景?

具体的に想像しちゃうと、コレ、かなりインパクトあるよねえー。

ナカタニくんは、まあボクと同じで‘勉強が苦手なほうで成績もよくなかった仲間だったんだよ。

でも、
笑った後で、
ボクはちょっと直感で思ったんだわ。

これって❌じゃなくて、
⭕️じゃね? ってね。

だって、出題は

※「いわば」という言葉を用いて例文を作りなさい。

「いわば」は「言わば」だが、「岩場」じゃないとは書いてないわけだよ。

おかしいよなあ
正解じゃない?

「先生に言って⭕️にしてもらいーな」

と、ボクとナカタニくんは教壇の先生のところへ行った。

「先生、これって正解じゃないですか?」

「ああ?、(回答を一目見て)コレは間違いだ」

「なんでですか?」

「なんでって、意味を間違ってるじゃないか」

「でも、先生ぇー、『いわば』には『岩場』の意味も入ってませんか?」

「阿呆! これは『言わば』であって『岩場』やないやろ! ❌だ」

「でも、先生ぇー、問題の『いわば』はどっちの意味かわかりませんけど……どっちも、ありやないですか?」

「アホか、オマエは、この質問でだれが『岩場』やと思うねん」

「いや、ナカタニはそう思ったですやん」

「それが、おかしいやろ? この『いわば』は『いわば』の意味や」

「どっちの『いわば』ですか?」

みるみる先生の顔が鬼神の如く真っ赤になってくる……目がすわってきた……

ナカタニくんは後ろから、ボクのスモッグ(教室内の作業用上着)の裾をつかんで「もうええわー」っと言わんばかりにひっぱる。

「ナガタよ、このナカタニの文章もおかしいやろ? 『さるが、いわばでしんでいた』って、この例文、なんやねん。だれが、こんなん書くねん! 他のもんはだれも、こんなふうに書いてないやろ!」

「えーっと、教室で猿が死んでたらびっくりやけど、岩場で死んでるのは、オカシないと思いますけど……」

ナカタニくんが、ぎゅっとにぎったボクのスモッグをひっぱる力がつよくなる……。

「つべこべ言うな! コレはだれが見ても❌や!」

「そうですか? おかしいなあー」

ナカタニくん、恐る恐る、後ろへ引き下がっていくのがわかる。

来るぞ!

「うるさい! オマエはいつも、へりくつを言う!、ええと言うまで廊下で立っとれ!」

先生はとうとう怒鳴って、教壇の机を平手でババーンと叩いた。
どこかの県知事顔負けのパワハラである。

廊下に立たされたボクは、毎度お馴染みの廊下の窓から見える風景をぼんやり眺めながら、納得いかずに心のなかで繰り返していた。

「猿が岩場で死んでいた」

猿はどうして、ひとり寂しく岩場で死んでいたのだろう? 見つけた人はどう感じたのだろう?

そう思うと、❌をくらった、ナカタニくんが、というより、
❌をくらった、
「さるが、いわばでしんでいた」
という文章が無性にかわいそうに思ったものだった。

死んでいた猿も、見つけた人も、先生の❌で、かわいそうだ。

そう思ったのを、いまも、まざまざと思い出すなあ。

さて、
「さるが、いわばでしんでいた」

これって、本当に❌だったんだろうか?

ボクは今も、正解だったと思う。

「この例文、なんやねん。だれが、こんなん書くねん! 他のモンはだれも、こんなふうに書いてないやろ!」

まあ、コレが答えなんだなー。

みんなが正解だと思うものが、より正解に近いということになるわけだ。

仮に、みんなが、

「さるが、いわばでしんでいた」が正解だと思えば、それはたちまち⭕️になるわけだ。

みんなが、
それはおかしいよーって笑うことで、
オマエ阿呆か! って怒ることで、

「さるが、いわばでしんでいた」は❌になるわけだよ。

なにが本当で、なにが間違いかなんて、多数決で決まっちゃうわけだな。

結局のところ、真実ってやつは、そんな曖昧な基準に基づいているものなんだなぁ……。

ふと、思い出した映画があるよ。
石川達三の小説が原作で、久松静児監督の『神阪四郎の犯罪』(1956年)だよ。

『神阪四郎の犯罪』(1956年・日活)

裁判の被告の立場にある主人公、神阪四郎が最後に法廷で述べるセリフで、こんなのがあった。

(彼女らは)自分の弁護に役立つ真相のみを陳述しているにすぎないのです。では真相とはなんでしょう? 第三者が語る真相が果たして真相でしょう か? 人間誰しも自分の立場を優位にするために細心の注意を払う、つまりエゴイストであります。したがって、彼らの述べる真相は決して真相ではないはずです。 (略)裁判というものは、あくまでも客観的な活動であります。しかし、犯罪においては客観的な真相などというものはあり得ないからです。現実の人間社会においては真相らしきものが真相なのです。
(映画『神阪四郎の犯罪』より)

「現実の人間社会においては真相らしきものが真相なのです」

言い換えればさ、

「みんなの学校の教室においては正解⭕️らしきものが正解⭕️なのです」

じゃあ、
多数がそう思うからいつも正しいのかっていうと、そうじゃないことだってあるかもしれない。

まあ、
ボクは子供のころから、みんな同じことをしなきゃいけないってのが、心底苦手で、出来なかったから、いつも「問題児」だったわけだ。

まあまあ、そこがあかんのです。
自分でもそこはよくわかっている。

いつも言うけど、
ダメな奴ってことだ……

でもさ、
間違ってないんじゃないですかって
言うのも悪かないって思うんだな。

※作者は何を言いたかったのでしょうか?

この設問でも⭕️か❌かで、先生を怒らせて、なんど廊下に立ったことか……。

どうだい?

「さるが、いわばでしんでいた」

これ、間違っていると思うかい?

「正しい答え」なんてないのかもしれない
って、疑うのも面白いよねぇ。

ちょいと、こんなことも
考えてみるのもいいかもねぇー

ということで、

ガンバルナー!

また、明日

なんか書くよー

じゃあねー


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