【プリゴジンは暗殺された? 歴史が語る暗殺のはなし】
1943年、反ヒトラー派のヘニング・フォン・トレスコウ将軍はロシアの前線視察に来たヒトラーの乗機に爆弾を仕掛けた。
爆弾はコニャックの瓶に似せてあった。
爆弾は爆発せず、暗殺は失敗に終わったが、もしも成功していれば航空機事故を装った確実な暗殺になったに違いない。
プリゴジン氏の墜落死も同様ではないかと思う。
飛行機が空中爆発したなら、爆発がターゲットに致命的な損傷を与えなくとも、機体の墜落で確実に相手は死亡する。
だから爆弾が爆発するのは高空で飛行している状態が望ましいということになる。
プリゴジンの飛行機が墜落したのは離陸後30分。ヒトラーの乗機が爆発する予定だったのは離陸後10分ないし15分の間だった。
飛行機の爆発では爆弾によるものか、故障によるものか、または撃墜されたか、事件後に特定は難しい。
暗殺の好条件とは、実行者とターゲットの距離が広ければ広いほど有利で、その上で確実に実行されるということになる。
飛行機爆破は暗殺者には全て都合がいいということにもなる。
ちなみにコニャックの瓶爆弾が炸裂しなかった原因は使用したコニャックの瓶の中に仕込んだクラム型地雷の時限信管がロシアの寒さのために作動しなかったため。
ヒトラーの搭乗機はスモレンスクからベルリンへ飛び立ったのだ。
コニャックの瓶は側近のブラント大佐にベルリンの知人に渡してくれと預けてあった。
ヒトラーの飛行機が何事もなくベルリンのテンペルホーフ飛行場に着陸したと報告を受けて、慌てたトレスコウはベルリンに電話をして、ボトルを間違えたと偽り回収させた。
ブラント大佐は何の疑いもなくボトルを使者に笑って返した。
ブラント大佐はトレスコウの跡を継いだ反ヒトラー派のシュタウフェンベルク大佐が翌年に試みたヒトラー暗殺事件の際に、爆弾の爆発に巻き込まれ死亡することになる。
その時の爆弾はコニャックの瓶の爆弾と同じクラム型地雷だったことは皮肉なことだった。
★写真はフォン・トレスコウ将軍
トレスコウは1944年の7月20日のヒトラー暗殺事件の失敗の報を受けてロシアの前線で自殺した。