🍀🌈虹のコラム✨きみへのメッセージ☀️「カナリアの十字架」
ヤニューシュ・コルチャック。
ポーランドの医師で、ワルシャワでユダヤ人の子どものための孤児院の院長をしていた人。子どもの権利条約の基礎となる概念を作った人。
1939年、第二次世界大戦が始まって、ポーランドがナチスドイツに占領されてから、ユダヤ人だったので、コルチャック先生は孤児院の子供たち200人とともにワルシャワゲットー(ユダヤ人の強制居住地域)に住まわされます。
ナチスのドイツ人は、ユダヤ人を劣等民族だと決めつけて差別していました。
家を奪い、一般の人たちから隔絶するためにゲットーへ押し込みました。
そこは極度に制約された環境でしたが、コルチャック先生は子どもたちを守り続けました。
ポーランドに建設されたアウシュヴィッツを代表する絶滅収容所。そこはナチスドイツの指導者たちが、ユダヤ人問題の「最終解決」をするための施設でした。ここではなんの罪もないユダヤ人の人たちが集められ、カス室で命を奪われました。
ユダヤ人を絶滅させる目的で作られた死の施設でした。
ゲットーから子どもたちがアウシュヴィッツへ送られることになった時、コルチャック先生はワルシャワに残るようにナチスドイツから命じられました。
どんどんゲットーへ送り込まれてくる子どもたちを管理するために、ナチスはコルチャック先生が必要だったからです。
また、コルチャック先生の身を案じる支援者が、コルチャック先生に偽造の証明書を与えて国外へ脱走させようと提案しました。
でも、コルチャック先生はどちらにも従わなかったのです。
コルチャック先生は「子どもたちと私は行く」と言って、子どもたちと一緒に貨物列車に乗ってトレブリンカ絶滅収容所へ向いました。
そして1942年、子どもたちと共にガス室で命を奪われたのです。
どうして、コルチャック先生は子どもたちと共に運命を共にしたのだろう。
コルチャック先生が5歳の頃、可愛がっていたカナリアが死にました。
コルチャック少年はそのカナリアの死を悲しんで、埋葬して十字架を建てようとしました。
すると教会の人からカナリアは人間ではない、人より劣っているカナリアは神の愛を受けることはできないから、十字架は建ててはならぬと言われたのです。
友だちからはユダヤ人が飼っていたカナリアはユダヤ人だから、十字架は与えられないとも言われました。
コルチャック少年はなぜ、同じ命なのに愛すべきカナリアの命はだれからも認められないのだと、強く感じたのでした。
コルチャック先生が自分も殺されることを知りながら、子どもたちとトレブリンカの絶滅収容所へ向かったこと。
きっと、十字架さえ与えられないカナリアを見捨てることなどできなかった、その少年の心のままに従ったのだと思います。
コルチャック少年が愛したカナリアへの想い。
子どもたちを見捨てることなど考えず、子どもたちと死を選んだコルチャック先生。
十字架が与えられなかったカナリアは、十字架以上のものを可愛がってくれたコルチャック少年から与えられたのだと思います。
それは深い愛情であり、その愛情が、また幾多の子どもたちを守ろうとする力になりました。
きっと、みんなもそんな優しい気持ちが心のどこかにあります。
それがきっとだれかを支える希望なのです。
カナリアの十字架は、なかったのでしょうか?
いいえ、カナリアの十字架は、コルチャック少年の心とともに、いまもわたしたちの心にあります。
あなたのだれかを想うその心のなかに…
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