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⚫︎ハエと絶滅収容所
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ザクセンハウゼン、ダッハウ……
無言で人の感情を押しもどす冷たく分厚いガス室の扉も、シャワーに見せかけたガスの噴出口も、火をうしなったクレマトリウム(火葬場)の建造物も、いまは透きとおった青い空と、絹のように輝く白い雲の下に、何も言葉を持たない語り部となった。
いのちがまるでないかのような、この語り部は無数の人の命を飲み込んでは沈黙したのだ。
命とはなんだ。
人間とはなんだ。
そのことすら忘れた人びとが産んだ創造物。
それを目の前にして、私は言葉という武器さえ失ってしまった。
ここには何も生み出すものはない。
ただ、かんたんに奪い消すだけの素晴らしく洗練された言葉も届かない世界。
これはあの時代だけの異常な産物ではない。
これはギリシャ、ローマの時代、いやもっと昔から生み出されてきた言葉を無力にしてしまう世界。
絶滅収容所で人びとはただ生きたいと願ったに違いない。
しかし、命を失った唇には言葉は紡ぐことができない。
命を奪う者も自分の命が奪われることを誰よりも望まなかっただろう。
長い旅の果てに、わが家に帰ると、小さなハエが舞っていた。
このたくさんのハエの命をかき消すことなど、簡単な道具はいくらでもある。
それは店の売り場で、いくらか陽気な広告に囲まれている。
「ひと吹きで嫌なハエをノックダウン」
時間もかからず、消してしまうことの方が悩むことさえない。
そして人は忘れる。
自分の命が奪われることが、どれほど恐ろしく思っていても、簡単にスプレー缶のノズルをゆるめる。
そして、一度に奪った大量の命のことなど忘れてしまう。
私は粗末な捕獲器をつくって、捕らえたハエをせっせと窓の外へ逃す。
捕獲器のなかで、囚われてせっせと動いているハエは生きている。
生きていることが幸福なのはどの命であろうとも変わりがないことを感じながら、私はただ、その生きている様を見つめている。
雑草が邪魔だと殺し
蟻がいれば殺し
熊が出たといえば殺し
猪が出たといえば殺し
鳥や豚が病にかかったとえば殺し
不要な命だと犬を殺し
違った種類だからと人を殺し
私たちはいくら殺し続ければ、私たちが望む幸福を得られるというのだろう。
大量に命をかき消す道具は言葉を持たない。
ゴミ捨て場に空になって転がるスプレー缶も、撃ち尽くされた猟銃の薬莢も何も語らぬ語り部となって、そこに転がっている。
透きとおった青い空と、絹のように輝く白い雲の下に……