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松本清張『日本の黒い霧』は真実か?


『日本の黒い霧』
松本清張著
1960年 文藝春秋

 1960年にこのシリーズの連載が出た時、みんなこの本の内容を本当だと思った。その後もずっと。ここに書いてあることは、真実に近いと思ったわけだ。

 なぜならこれはノンフィクションだと思われたからだ。
 帝銀事件、下山事件、もく星豪事件、松川事件など色々、戦後のアメリカ占領下で起こった事件を題材にそれがGHQや特殊工作機関の謀略として、それが朝鮮戦争を準備するためのものだったとして、一直線につながっている。

 実に詳しく明瞭に検証されているので、誰もがノンフィクションで、どこまでが真実でどこまでが推理なのかよくわからない。
気がつけば、米占領軍の陰謀説を完全に信じてしまうことになる。

 下山事件は他殺か? 自殺か? この件に関して、松本清張は捜査担当だった捜査一課の平塚八兵衛刑事に取材している。

 平塚は松本に説明すると、松本は「やっぱり、自殺だったんですね」と納得して帰ったと証言している。
 その松本清張が『日本の黒い霧』で、真逆の他殺説を発表したので平塚元刑事は大変驚いたそうだ。

 しかし、考えてみれば、これは一種の推理小説なのだ。

 全ての事件の犯人は米占領軍で、その犯行動機が朝鮮戦争を準備し、それに勝利するためという結末の推理小説なわけだ。
 それなら、『日本の黒い霧』がフィクションであってもまあ、いい訳である。

 ただ、すごく筆が迫真の凄みがあったから、これをフィクションと取らずにドキュメントであると思い込んだ人があまりにも多かったというわけだ。
 これはすでに発表されていた『小説帝銀事件』でも同じだった。
 今度は本のタイトルに「小説」と冠しなかったから、余計に迫真の書となったわけである。

 これは松本清張の巧みなアイデアだと思う。実際の出来事を使って、推理小説を探偵も立てずに、推理だけで解説してゆく。事件が本物だから、推理も実際の検証となる。

 同じような手法で書いた人に「国際ジャーナリスト」落合信彦がいるが、落合の作品は、松本清張のように緻密な検証の積み重ねや、客観的な冷静さがないので、どことなく胡散臭かった。

 しかし、松本清張の『日本の黒い霧』は同じような大胆で、一歩間違えたらホラ話になりそうな事柄を、あたかも本当のことのように伝える。

 言い方が悪いが、これは一種のフェイクドキュメンタリーだ。松本清張は、どこにもこれはノンフィクションだとは書いていない。それどころか、これはドキュメンタリーではないとも後に松本清張自身が語っている。

 陰謀論自体が一つの文学作品となった稀有な例の一つだと思う。

 わたしは『日本の黒い霧』を20代の時の読んで、これが真実だと思っていた。
 これがドキュメント・フィクションであることを知ったのは、それから10年も後のことだ。

 それまでは米占領軍の陰謀は疑うべくもない事実だと思わされていたのだ。

 こういう、騙され方は痛快で、これも一つの文学の楽しみなのだ。

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