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ガンバルナー日記★第五回「コスパ文化を解読せよ!」

ガンバルナー日記★第五回「コスパ文化を解読せよ!」
2024年10月1日

小学生のころから、
ボクはすでに戦争の本ばかり読んでた。

もう、勉強しなきゃならないのに、そっちのけで戦争の本ばかり読んでるわけ。

それから、映画を観る。
テレビでやってる映画をとにかく、毎日観るわけだよ。

これも、勉強しなきゃならないのに、そっちのけで映画ばかり観るわけだよ。

周囲からはねえ
勉強することが大事で、勉強しなかったら、将来困ることになる❗️

だから「ムダ」なことはやめなさい❗️

まあ、学校ではそう言われ続けてきたものだったんだよなあー

親はね、もう諦めているからさ、口うるさくても、まあ、「ムダ」だとまでは言わなかった。

ここは、ボクの「ダメな奴論」の基礎となる一つかもねぇ。

コスパ❗️

コスパだよ❗️

まあ、
この言葉ってよく耳にすることが多くなったよねえ。

物を買うのもコスパがいいものがいいなあーって声はよく聞かれるよなあ。

つまり、手頃な金額で、その金額をはるかに超える品質とか性能をもっている製品だったら、そりゃうれしいわけよ。

コスパがいい❣️

そりゃだれでも、いいと、そう思うわ。

コスパってなんだー

コストパフォーマンス
費用対効果の意味だねー

何日か前に話した時間を節約するって
タイムパフォーマンス、タイパは、このコスパから生まれたものだよね。

コスパ・費用対効果
タイパ・時間対効果

うーん、
よくわかんないな

いまじゃ、
こうした言葉が政治とかにも使われ出してるし、
ボクも使い方がよくわかんないだよね。

少ない費用で、
満足を得る品質や効果って、

その意味は、いまではちょっと変わってきていて、

とにかくムダなものは切り捨てようぜーって考えにもなっているような気がするなあ。

それは、ムダだからいらないー。

まあまあ、
ムダなモノってなんだろう。

例えば、自動車の話だったら
街のなかを移動するだけだったら、軽自動車でも、まあいいわけで、こと足りるわけだなあ。

そこに、ランボルギーニとか
フェラーリは、いらないわけだ。

高速道路でも別に、ランボルギーニや
フェラーリである必要ないぞー
って思う人もいるかもしれないわけよ。

じゃあ、
ランボルギーニや
フェラーリはムダになる。

うーん
でも、ランボルギーニや
フェラーリをムダだって思わない人もいるよねえ。

でも、ムダだ。
そんな車、どこで走らせるんだあー

ムダ、ムダ、ムダ!
コスパ重視でいきましょうー

うーん
それでいいのかなあ。

もうちょっと、考えてみるかあー

美術で刀剣、刀だな、そういうの持っている人がいる。

刀って武器で、人を斬る……ぶるぶる怖いな……って目的のものだからさ、もちろん、本来の目的に使ったらえらいことだよ。

同じ刃物でも、
包丁は料理するのに絶対必要だな。

うんうん
包丁にくらべて刀はムダだな。
だって、刀では料理に使えないし、
人を斬るなんざありえないから

いりませーん! 決定

刀はムダよ。

ってことになる。
なぜ、刀はムダで包丁はそうじゃないのか。

刀は高くて、生活上なにも必要ないよね。
でも、包丁は絶対生活に必要なわけよ。

ムダ、ムダ、ムダ!
コスパ重視でいきましょうー

刀はいらないー!

うーん
それでいいのかなあ。

こういうのは「社会有用性」があるかないかっていうんだな。

つまり、コスパの敵のムダって社会ではあまり有用性ないもってことになるね。

ふむふむ、
ちょっとわかってきたぞ。

じゃあ、実はそんなもの
世の中にいっぱいあるぜ。

どんどん、ムダなものを追い払っていけばいい。

ムダをはぶいていくんだから、コスパって奴は最高にいいアイデアだね。

ムダなものって、
実はムダなものほど時間や費用が必要なんだよなあ。

たとえば
クラッシックのコンサートで
オペラを観に行こうとすると、

席にもよるけど、
まあまあ高いわけよ。
3万円としようー

それに必要な時間は
本編が3時間半くらい。

けっこう、お金と時間がいるもんだ。

なかなか、
これじゃ、みんなが芸術とかに
接することがむずかしいわけよ。

まず、値段が高いわね。

じゃあ、政府とか自治体とかが
ちょっと、負担してくれて
観に行く人の出費を抑えてくれて
応援してくれるわけね。

これが、
芸術文化に対する振興助成金とかだな。

でも、
ここに、包丁と同じ、コスパとか社会有用性なんてものを持ち込んだら、クラシックやオペラを愛好する人は少ないから

ムダー‼️

ってことになっちゃう。

文化、カルチャーってものには
それぞれ、人間みたいな生き物の側面ってあって

ポップスにはその顔があり
クラッシックにはその顔があり
ジャズにはその顔がある
詩吟や謡曲にもその顔がある

そのなかにゃ、人気があるものもあれば
人気のないものもあるよ。

それぞれ、
カルチャーのジャンルにはいろいろ

でもさあ
人気がないからといって
こと、カルチャーに関してはだけどさ、

コスパだ、社会有用性低いって
ムダ❗️って切り捨てて行けばさ

どうなるのかなって、
思わないかい?

いまの人たちにとって
やっぱね
コスパとタイパって
とっても大事なことなんだよね

それは価値をはかる判断にもなるのだわ。

まあ、政治家でもさ
コスパでムダを
省きましょうって人が人気あるよ。

実際、自治体でも
クラシック音楽は聴く人少ないからムダ❗️
お金あげるのやめましょう。

ってことに
なってるところもある。

一つムダだと言いだして、
コスパは絶対いいんだヨ!
ってなっちゃうと

ムダだっていうものは
どんどん、どんどん、
増えてゆくんじゃないかなって思うんだな。

もうとにかく
少数のものは全部
ムダってことになりかねないわな💦

でもね
ボクはムダなものって
本当にあるんだろうかって思う。

フェディリコ・フェリーニって映画監督が造った映画で『道』ってのを思い出すわけ。

『道』1954年
フェディリコ・フェリーニ監督

そこにこんなセリフが出てくるのよ。

「こんな石ころでも何かの役に立っている。なんの役に立っているのかわからないけど、何かの役に立っているんだ」

乱暴な旅芸人、ザンパノに連れらて旅をするちょっと天然の少女、ジェルソミーナがね、
自分が役立たずでダメだと泣いて嘆くのに対して、同じサーカス団にいた綱渡りの芸人イル・マットが話して聞かせる言葉だよ。

「こんな石ころでも何かの役に立っている」

ボクはどんなものでも、
存在しているなら
それはムダであるはずは、
ないんんじゃないかなあって思うんだよ。

無数の星があって宇宙ができているように、
文化もいろんな星があるから、
この世界が、
できているんじゃないかって思うわけだよ。

ランボルギーニもフェラーリもムダじゃないし。
刀もムダじゃないし。

クラッシック音楽もムダじゃないんじゃないかなぁ。

だから
コスパとか、社会有用性とか
それで決められる問題じゃないなあって
思うんだな。

文化ってさ
こういうことを
考えさせてくれたり
気づかせてくれるものなんだな。

コスパっていいよね
ムダなものはなくしちゃうといいよね!

それも一つの考えだから、
それまでムダだとは言わないよ。

たとえばさ、

子どもを造るのが男女の役割り
って前提だったとする

コスパやタイパで
恋愛なんていらないわー
ってことになったら

それは、いい世界なんだろうかなあ。

子どもができるということが目標達成だよ。
でも、恋愛という「ムダ」な時間と費用があってこそ、心がそこに加わるって思うんだなあ。

幸せ度も増すんじゃない❓

同じ目標達成でも
あるのとないとでは、エライ違いだと思うんだよなあ。

この恋愛ってものがさ、
世の中での、
カルチャーなんじゃないかと思うわけだ。

ボクが子どものころに
ムダーって言われてきたことって

まあ、
ムダじゃなかったかなあって思ったり。

ムダじゃないよなあって思うわけよ。

ぼちぼち、みんなで考えて行けると
いいよねえー。

あー、
このガンバルナー日記こそ
ムダだあーってことにならなきゃいいなー。
あはは🤣

ということで、

ぼちぼちいこう

ガンバルナー!

また明日、なんか書くよー

じゃあねー


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