見出し画像

団次郎さん追悼記事:「郷隊員が教えてくれた、キミがめざす遠い星」



 俳優の団時朗さんが亡くなった。
 わたしの中では旧芸名の「団次郎」さんとしての記憶が強い。
 もちろん、『帰ってきたウルトラマン』の主人公、怪獣退治の専門組織、MAT隊の郷秀樹隊員を演じた団次郎さんとしての記憶だ。

 テレビシリーズで親しみを持った以上に、この俳優さんに強い印象を持っているのは、わたしの仕事と関係がある。

 かつて、国際交流の仕事をしていたわたしは、小中学生に国際理解を教える「国際理解講座」の講師を務めていた。
 その時に使用する教材に、官製のビデオ教材のいかにも啓蒙的な作品に感心しなかったので、『帰ってきたウルトラマン』の第三十三話「怪獣使いと少年」のエピソードを使用していた。

「怪獣使いと少年」は『帰ってきたウルトラマン』のメインライターだった脚本家の上原正三さんが書いた「キミがめざす遠い星」というシナリオを新鋭の東條昭平監督のメガフォンによって映像化された作品であった。

 簡単に物語を記しておこう。

 物語は地球に環境調査にやってきた宇宙人、メイツ星人が、地球の公害という環境によって身体を蝕まれ、母性へ帰れなくなり、孤児の少年と瓦の掘建小屋で暮らしているという設定から始まる。メイツ星人は金山という名の日本人に化けている。
 金山は宇宙船を地中に隠しているが、病いによる体力の消耗のために、宇宙船を掘り出せない。
 少年は金山に代わって、宇宙船を掘り出そうと、当て所なく河原の土を掘る日課であった。
この奇妙な行動から、街の人たちが、この金山と暮らす少年が宇宙人であると決めつけ、迫害し排外しようとする。

 MATの郷隊員がこの事件の調査を、伊吹隊長から命じられ、少年が宇宙人でなく、日本人であることを証明する。 しかし、掘立て小屋の二階に隠れ住んでいた金山は、暴徒と化した街の人たちに乱暴される少年を救おうと、自分が宇宙人だと名乗り出て、警官に射殺されてしまう。

 メイツ星人、金山の念動力によって封じ込められていた怪獣ムルチが地上から出現、暴徒に怒りの念を抑えられない郷であったが、ウルトラマンに変身し、怪獣ムルチを倒す。 最愛の父とも慕う金山を失った少年は、地中に埋められた金山の宇宙船を掘り当てて、地球からメイツ星に行こうと、今日も当て所なく地中を掘るのである。

 この作品は上原正三が関東大震災の際に、日本人の暴徒によって朝鮮人が虐殺されたという、史実からマイノリティーへの差別と迫害という文脈で書いている。北海道江差出身の少年をアイヌ人、宇宙人金山を朝鮮人のアレゴリーとして書いている。

 わたしは「国際理解教育」で小学生や中学生に異なる者とされる人びとへの迫害と差別がいかに行われるかとという問題と、いかにすれば異なる者とされる人びとと共生することができるかという問題を、この25分のテレビドラマの悲劇から知ってもらおうと考えたのだ。
 ここには外国人と日本人との間の悲劇的なドラマが隠されているからだ。

 脚本「キミがめざす遠い星」にはいつも通り、郷秀樹をめぐるMAT隊員や、郷にとっての家族ともいうべき坂田一家も登場する。
しかし、完成した映像作品は、全くその点が異なっていた。

 MAT隊員は姿を表さず、伊吹隊長と郷秀樹だけである。坂田一家も登場しない。

 伊吹隊長は街の人びとの偏見や迫害から救ってやるように命じるときに、次のように述べる。

「日本人は美しい花を造る手を持ちながら、いったんその手に刃を握るとどんな残忍極まりない行為をすることか」

 これは脚本にはなかったセリフで、東條監督によって書き加えられたものだ。
 この戦争という歴史を通じて、明らかになった日本人像の観察は、日本人を客観視したものだ。

 このセリフのやり取りはMAT基地内だが、伊吹隊長と郷秀樹だけで、他の隊員はいない。

 なぜだろうかという疑問がよぎった。

 ドラマや物語から離れると、伊吹隊長を演じる根上淳さんの祖父はオーストリア人である。郷秀樹を演じる団次郎さんの父はアメリカ人である。

 クオーターとハーフの役者が演じるMAT隊員は、他の「日本人」が演じる日本人隊員とは違う立場にある。
 単一民族としての日本人などという幻想はあり得ないのであるが、我々は日本人が日本人であると信じている、

 その日本人が朝鮮人やアイヌ人のアレゴリーである金山や少年を迫害している。
 彼らを庇護し理解できるものは、日本人が日本人であると信じている日本人の手に委ねるわけにはいかないという冷徹な論理がここに働いているのだ。

 そのためには伊吹隊長や郷隊員以外の隊員や坂田一家はここに存在することは許されない。

「怪獣使いと少年」は沖縄人である上原正三によって書かれ、根上淳と団次郎というマイノリティの立場にある人によって演じられた。

 朝鮮戦争で戦没したアメリカ兵を父に持つ、団時朗さんという俳優によって演じられた「怪獣使いと少年」。
 団さんの生き様や経験、そうしたものがどこか、この作品には漂っているとわたしはいつも、授業の際に上映するこの作品を観ながら感じていた。

 団時朗さんがこの世を去られても、「怪獣使いと少年」は永遠と残る。
 この一人の俳優の出生のドラマがどこかに宿る、この意義深い作品が生まれた一つの奇跡。

 ウルトラの星となった団さんはきっと、日本人が日本人であると信じているわれわれに「キミがめざす遠い星」を探せよと、これからも語り続けてくれることだろう。

 郷さん、
 わたしの「国際理解教室」であなたの物語を観た何百という少年少女はいまは子供を持つ親となっているでしょう。
 そしてきっと思い出していることでしょう。
 「キミがめざす遠い星」という共生の理想を。

 郷秀樹、団時朗さん
 大切なメッセージをありがとう。

 心よりご冥福をお祈りいたします。


●関連記事

イミダス
戦争と平和のリアル 
第19回 上原正三「わたしは琉球人である」

https://imidas.jp/sensoutoheiwa/?article_id=l-73-020-17-10-g702

イミダス 
戦争と平和のリアル
第32回 永田喜嗣「戦争「加害」を描いた映画を観るということ」

https://imidas.jp/sensoutoheiwa/?article_id=l-73-033-19-06-g775


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?