戦争映画エッセイ:George Takei 名優ジョージ・タケイと戦争映画
ジョージ・タケイといえば『スタートレック・宇宙大作戦』のミスター・カトーを思い出す人が殆どではないだろうか。1937年生まれのタケイは4歳の時、 真珠湾攻撃を迎える。そして日系人強制収容所に強制収容。「見た目が日本人に似ていたために」強制収容所に送られたとタケイは述懐している。このトラウマ は多年にわたり彼を苦しめることになる。
その彼が1989年の『戦場にかける橋2クワイ河からの生還』(米)、1990年の『アンボンで何が裁かれたか』(豪)でアングロサクソン系の欧米人を強制収容する捕虜収容所の日本軍人を演じたことは誠に奇妙な巡り合わせだった。
彼は「見た目が日本人に似ていた」アメリカ人だった。アメリカ人のアメリカ人に対する裏切りに心を傷つけても彼はアメリカ人として生きて来た。
日本人にとっては時として日系人は「中途半端な」日本人として映ることもあるようだが、彼らは日本人ではない。アメリカ人なのだ。
ジョージ・タケイも間違いなくアメリカ人である。
それが示すのは上記の二つの作品における彼の演技である。
日本人にとって大仰な演技によって表現された日本人と映ったかもしれない。
しかし、そうではない。日本人よりも日本人らしく日本人を演じていた。
日本人は日本人を演じることに労力を使う必要はない。タケイの場合は日本人を演じることを先ず第一にして日本人に見せなければならない。
『戦場にかける橋2』で共演した仲代達矢よりジョージ・タケイがより日本人らしく見えたのは不思議なことだ。いや不思議でも何でもない。タケイは日本人を演じていたからだ。
両作で日本人俳優の中でただ一人アメリカ人として日本人を演じたジョージ・タケイの存在がなければ映画は全く違ったものになっただろう。彼の役を日本人が演じていれば我々発見できることが出来ない日本人のが隠し通している残虐性や背信性は表現されたかどうかは疑問だ。
これは映画作家の計算によるものだろうか、それとも偶然であったろうか。
ジョージ・タケイの存在は大きかった。
決して華やかな大スターではない。
しかし、この人の演技と力量には僕は深い感動と敬意を覚える。
「見た目が日本人に似ていた」アメリカ人の苦悩と体験は我々に我々が表現し得ない隠された日本人の姿を伝えてくれたのだ。