空腹は人を貧しくさせる
こないだからちょっとだけ、晩ご飯をプロテインに置き換える生活をしたんです。
初日の感想はこちら
はい2日目。
おかわりいただけただろうか?
違う。お分かりいただけただろうか?
文字にまで食欲を出させてどうする。
そう、空腹って人をおかしくするんです。自分のTwitterの名前をいつも使っている「長押し」から「馬刺しユッケ」にするくらいにはおかしくさせるんです。
違う。空腹ではない。あくまでも、体の中に栄養はあるけど心は渇いている。そんな状態。
ある意味贅沢な悩みだろう。普通に食事ができる環境にいながらにして1日を構成する1/3を放棄している飽食という食に対する一種の冒涜と背徳。
何が完全食だ。そんな気分になった。気がする。きっと腹を空かしていただけだろう。
人間が真面目なことを考える瞬間なんて何かが欠けているときくらいしかないだろう。きっと腹が減っていたんだ。そうに違いない。
少し前、空腹と貧困の関連性についての文章を読んだ気がする。
本当に貧しい者は、スーパーで健康的な生活をするための200円の野菜たちを買えず、ファストフードで食事を済ます。
定期が買えないから毎回電車の切符を買っている。みたいな感じの解決策は存在しているけどそれが不可能。
そんなジレンマは確実に存在する。
大学に通っているのに教科書をメルカリで買うくせに、その教科書代を買えるくらいの値段がするスタバのフラペチーノを飲む人は、どうして「教科書は高い」と言うのだろうか?
わざわざコンビニで飲み物を買う生活をしている人は、それをせずに麦茶でも作れば大きな節約になることを避けたい努力とみなしているのか?
もちろん価値観だ。それを偉そうに説教するほど上等な人生は送っていない。
自分が少し無理をして高い料金で映画を観ていることだって、人から見たら見栄だと思われてもおかしくはない。
そう、腹が減っていたら心がどこか貧しくなってしまう。そんな気がしていた2日間。
ちょうど昨日は、今になって自粛疲れを初めて心の底から自覚した日だったこともあり、理由もなく機嫌が悪かった。
家族にも彼女にも、「今日は特にこれといって理由はないけど不機嫌だからもう寝る」宣言をしてすぐに寝た。昨日の今頃は寝ていたはず。
そんな昨日、母から、自分は知らない母の知り合いの高齢の方がコロナで亡くなった報せを聞いた。
それを聞いてどう思ったか、情けないことに「顔も知らない他人の死まで今は毎回悼めるほど余裕がない」と思ってしまったし、口からそんな感じの言葉がこぼれた。
他人の死にまで鈍感になってしまったのか自分は。そんな人としての器というか、在り方の矮小さに自分で自分に失望した夜。
無理矢理ゆったりとした曲を枕元で流して口ずさむ夜は久しぶりだった。
バチが当たったように、今朝は失神するほどの腹痛が襲いかかってきた。思えばそれくらいの罰で済んで助かったのかもしれない。それにしても痛かった。世の女性は毎月この痛みすらも凌駕する痛みに苦しんでいるのかと思わせる痛み。これについては近いうちに書きます。
そんな今日、これではいけないと思ったのか今夜はきちんとご飯を食べた。
ぐじの唐揚げ、ワカメと春雨とこんにゃくのサラダ、朝ご飯の残りの鶏チャーシュー、朝の残りの味噌汁を少し、そしてご飯。
今はただただ満たされている。胃はきゅるきゅると音をあげ、必死に消化活動をしているのだろう。
裕福であることの証明として、昔から支配階級の人間は太ることを義務とされてきたそうだ。
北の将軍が太っているのは、自分たちの国は裕福であるとアピールするためだとか違うとか。知らんけど。
それならもうこの先、それこそいつ分断されるか分からないこの世界なら食べたいものを食べる生活を送る方が幸せなのかもしれない。
久しぶりにライブ感に任せて書いている記事になってしまった気がする。
それはそれで、悪くない。
何の話してましたっけ?
それではまた明日。これを読んだ人が明日もすこやかでありますように。それくらい祈ってもいいだろう。
ではまた明日。