断捨離の真髄に触れる
諸事情で携帯のデータが吹っ飛んだ。
ラインとかソシャゲとかのデータはそれなりに残ってはいたけど他のアプリは消えてた。
その原因はデータの移行中に新品の機種のバッテリーとシステムの初期不良だったけどデータの復旧などのケアはなく、結局バックアップを頻繁に取っていなかったことが悪かったことらしい。
いや移行してからちゃんと動く携帯でバックアップ取ろうとしてたのにそういうことする??そういうこと言う??とか思ったけどもうあのAppleストア特有の陽気と失礼混ぜた感じの(そんなこと言われてもこっち悪くないので…)みたいな空気しんどくなったからもう諦めて帰った。
フィルム代くらい出せやみたいなこと思ったのはしゃあない。それくらい思っていいやろ。
ということでラインとかはちょくちょくトーク履歴が消しとんだし昔ログインしててそれなりにやってたやつとかもお釈迦。
SNSのアカウントもデータ切り替えた直後に携帯が沈黙したおかげで中途半端にデータ消えててキレそう。
次の携帯はもうシャオミとかにするか真剣に検討するレベル。
脱Apple、アリかもしれない。
それはそうと携帯を交換するまでの数日間、ラインとTwitterとかは他の端末にも同期してたから使えたけどそれ以外はほとんど何も触ることがなかった。
言ったらラインとかも何時間かおきに通知があれば返すくらいの使い方しかしてなかったし呟く数も減った。友達から呟いていなさすぎて病気したか心配のライン来た。本体は元気。本体は。
それでも全然生活できていたことに今普通に携帯が使える環境になってから驚いている。
そして新しくなった機種に一から手作業でアプリを入れている時、「使っていることは分かっているけど入れていたかを覚えていない」アプリがめちゃくちゃあった。多分元々使ってた携帯に入ってるアプリの1/3も今入れてないんじゃないかと思うレベル。
ブックマークとかホームに保存してたサイトが消えてたのは絶対許さんからなApple詫び入れに来いやほんま。
便利なものを便利と思わずに使いこなせている自分にも少し怖さを覚えた。手に持てる電話付きのパソコンをここまで普通に使えているの逆に考えたら人間おかしいでしょ。普及したの10年前くらいやのになんでここまで適応してるん?
それはそれとして、もしスマホがなければそれなりに隙間どころかがっつり時間を使うことができるようになれるのかもしれない。
でも実際使わない生活を継続できるか? みたいなことを聞かれると出来るとは言えない。だって便利だしゲームも入ってるしなんでも出来るものを手放すことなんて出来るはずがない。
それでもいざスマホを持たない生活を強いてみればなんやかんや出来る。
けど「使う理由」も同時に沢山湧き出てくる。
ということは案外自分が必要だと思っているものでも無いなら無いでそれなりに生活が出来るのではないか?
もしかしてこれがかの『断捨離』の真髄なのか。
だからといって自分の部屋にある本とかも要らないよな?処分しまw
とか言われたら多分キレ散らかすし仮に売られてから言われたら全部買い直させると思う。
「無くてもいいもの」と「無ければいけないもの」と「あった方が満たされるもの」の違いについて色々考えた。
それでも最初は必要だと思って買っているものが「無くてもいいもの」枠になったりするのはなぜなのか?
昔は好きだったけど今はそこまで…みたいなコンテンツのものとかもそれなりにある気がする。面白いと思っていたけど今はそこまで好きでもなくて続きがもう6巻くらい出ているのに買ってすらいない漫画とかもあるし銀魂とか昔最新刊まで一気に大人買いしてたけど終盤ダレてきたから4巻くらい買えてない。最終回が6回くらいあったのは覚えてる。
結局のところどうなったら興味が剥がれ落ちるかは分からないし反対にいつ「自分が好きなものに興味がなくなるのかのタイミング」が来るか分からないことももっと怖い。
何かを好きでい続けることが出来るのか?仮に好きにならなくなった時、それはそのモノ自体に対する興味が消えるのか、それともそのモノ以上に心惹かれる何かが現れるからなのか?
少なくとも今のところは好きなものを好きでい続けることができている。気がする。多分。
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