ポジショントークは気づかずにやらかす
昨日の記事が個人的な範囲でちょっとだけ閲覧数が高かった。小さいけれどこれもバズだと思う。実際閲覧数が12時間くらいで200くらい。いつもの閲覧数が1日だと100行くか行かないか。トピックによるけどまぁそれくらい。それが2倍くらいの閲覧数になっているのだから中々すごい。記事のハッシュタグに西野亮廣さん関連のワードをいくつか入れていたこともあるけど流石大手サロン。メンバーでもない自分の記事まで目を通そうとする姿勢はすごい。まさかここまで行くとは思わなんだ。
その件について友達と話している最中すれちがってしまったことがあり、その中であることを言われた。
「割と、コミュニケーションにおいての長押し(本名)は自分の考えを披露したいスタンスに見えること多いで」
ということ。名前を書き換えたこと以外はそのままコピペした。
これが送られてくる前に「嫌ってくれてもいいけど」みたいな前置きを置いてまでこれを書いてくれたことで自分のヤバさを自覚できた。むしろそこまで覚悟して言ってくれた関係であったことが少し嬉しかった。こう、何かあれば殴ってでも止めてやるのが友情、的な。
実際のところ自分自身において、特に当時の会話の中でそんな思いがあって話していた自覚がなかったことも事実。
自覚がなかったからこそ怖かった。
こんなことがなぜ起こるか? そして改善されることなく今に至るのか?
少し考えてみた。
なぜそうなるのか?
・気づいていないから
当たり前やなそもそもこの理由を書くのも大概ボケてるな。
・自分の持っている知識総動員して話そうとするから
これ有力かも。実際話す時も頭の中の本棚とかがっしゃがしゃしながら話すこと考えるしこれはありえる。
・自分の考えていることをストレートに伝えてしまうことで受取り手がどう捉えるかを考えてない
例えば議論とかだと最短で終わらせるには何を考えているのか、そしてどうするのが最適なのかを整理して端的に話すことが求められるけど、今回みたいに揉めるとまではいかなくても何を考えているか? みたいなことを話すときにこんな感じでお気持ち火の玉ストレートをしていたらそりゃ気を悪くさせる。
当たり前。これはお前が悪い。間違いなくお前が悪い。・相手と自分との間で持っている知識や事前情報の差があり話が噛み合わない→ポジショントークを知らない間に展開しちゃってる
これも原因としては考えられる。でもそれって知ってる側が考えて知らない人でもわかるような言葉を選べば解決するのではないか。
抽象化されているポイントの話なのに具体的なポイントを持ち出す必要はない。
ここで具体的な例を出すことが出来なかった。数ⅰしか知らない学生にわざわざ数ⅲの内容使って説明しようとすることとかも意味が違ってくるしそれっぽいものが見つからない。古典基礎を学んでいたはずがいきなり紫式部の当時の価値観や創作に至るまでのプロセスとかを教えられても(いやそこで言うことではないのでは?)みたいになる。(気がする)
・知識の殴り合いをしているつもりはない
それもそう。自分も特化してる部分ではそれなりに話せるかもしれないけど何も知らない分野だと何も分からない。さすがに知らないジャンルの話があることを知っていたなら事前にある程度調べて何も知らない人からちょっと知ってるけど全然初心者。いや初心者を名乗るのもおこがましいくらいになってから話そうととはしている。
結局これ自分が100%悪いのか?
またこんなことを書くとそういうところやぞみたいなことを言われそうだけどこれは腑に落ちない。
仮にど正論を伝えることがあってもそれがそのまま真意まで伝わるかは分からない。でもこれを理解しようとする姿勢は相手にあるのか?
そもそも大抵の分野において正論はないしむしろそんなふうに白黒つけることが出来る話題がある方がレア。
極論「なぜ人を殺してはいけないか?」みたいな質問とかもやろうと思えば「別に殺してもいいけどそれが許されるところで同じような思想を持つ人だけでやりあってください社会のルールを守ろうとする人を巻き込むな」みたいな変化球も投げられれば「そこに答えはない。なぜなら人を殺すのは犯罪だから」とかの倫理的な部分に則った答えだって正解となる。結局のところ0か100かの話なんて一瞬で覆る。
また話がずれた。こういうところやぞ自分。
まぁnoteやからええか。100日前から欠かさず独り言書き続けてきていて何を今更方針転換する必要がある。
キャッチボールする相手もそれなりにボールを投げる力が無かったらそもそもキャッチボールにはならないのではないか。
これが幼児相手だったら「いくよ〜そーれっ!」みたいな力加減で投げることが出来るけど、やろうとしてたことが大学生のキャッチボールなら話は変わってくる。「受け取って」、「相手が怪我しないようなボールを」、「投げ返す」ことを出来るのか? ということ。
別に自分は野球部でもなければ投球練習する選手でもない。ただの体重84キロ180cmの運動神経も言うほどないデブ。ただ投げる球が時折体感162キロとか12キロとかになるだけ。そんな自己最高速度の球なんて相当怒り狂っていなければ投げることはないし大抵は60キロすら届かない。
その球速を常に子供のボール投げくらいのゆるさに設定できないのもまだまだ青いな自分。青い春はまだあと4年は使えるらしい。
結局のところ考えすぎなのかもしれない。これも今日その友達が新しく更新した記事の中で書かれていたことだった。自分の昨日の記事も引用してくれていたからここでも共有しておく。少し自分が出遅れた感が否めない。
確かに「考えすぎ」なのかもしれない。それでも自分は頭ねじ切れるくらい考えるのが好きだし、多分勉強ができるとかとは違った意味で頭の回転は速い方だと思っている。
頭の中の図書館駆けずり回って足りないなりに言葉をつなげていた結果が冒頭のそれか。
早く修正できそうで助かった。どうやらここの出てきている情報をつなぎ合わせる作業が自分は苦手みたい。接続詞とかではなくて純粋に画面の向こうであっても対面であっても適切な言葉を使うスキルが足りていない気がする。辞書買うか。辞書買おう。
自分の思考をうまく言語化して人に「正しく」伝えることが当面の課題かもしれない。
新しく別の記事で彼の出した考え方とか書かれていたことについて「いやこれはこうで」みたいなことを書くのは不毛だし、多分彼も望まない。はず。多分。
出した記事が全てだし、それが変わっていくなら新しく別の記事を書けばいい。そのときまた「これはどうなん?」とでも火の玉ストレート自己新記録のスピードの球を投げてもらえるような関係でありたい。今までの関係の人ともこれからの関係の人とも。プロレスしようや、プロレス。