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聴くか、流すか。イヤホンはどう変わるのか?

スキーウェアを買いに行くべく、ヨドバシに行った。

無事購入し、ついでにいつもの流れでAV機器売場をふらふらしていると、SONYが出した耳穴の部分が空いているのに音が聴こえるワイヤレスイヤホン、WF-L900「LinkBuds」の実機が展示されていたので少しだけ試させてもらった。

試した感覚としては、環境音が拾えるのに耳に音楽が聴こえるイヤホンとして中々の出来だったはず。みたいな感じ。

利用想定がされているテレワークやオフィス、通勤向けなこともあって、音楽を聴くだけを目的にはせずに、日常に音楽を寄り添わせるようなニュアンスを感じさせるものだった。

去年くらいから普段使いしているAirPodsとは別に、サムネにしているワイヤレスイヤホン、ambieを使っている。

イヤーカフスのように、耳の軟骨部分に挟むタイプのイヤホンで、こちらも耳を塞がずに音楽が聴こえる構造になっている。指向性スピーカーみたいな作りなのかしら。

ambieは耳を塞がないからASMRとかウィスパー音とかが向いているような、いないような。実際に耳を塞がないから環境音に混じったリアル感のある声が聴こえる気がしなくもない。

移動はAirPodsを使い、zoomとかではambie。この使い分けをしているので、今回のSONYの新作は買わないかな〜と思いつつ、試していた。

耳を塞がないイヤホンという本質をガン無視する逆張りプロダクトが最近はバズっているように感じている。

没入感を売りにする時代は終わったのかもしれない。

そもそもフルワイヤレスイヤホンに音楽鑑賞が向いているかと言われると、YESとは言えないし、それなら有線ヘッドホンを使うべきだろうとは常々思っている。

ワイヤレスイヤホンでハイレゾ音源は流せないし(条件による)、ちゃんとした環境で音楽「鑑賞」をするのなら間違いなく有線ヘッドホンとDAPとポタアンの組み合わせがマストなのはこれからも変わることはないだろう。

この前もウォークマンの新作のハイエンドモデルが20万とかになってるのも時流なのかもしれない。

「聴く」ということが変わりつつある。

ちゃんと音楽を聴くということの意味が変わってきた。

流行りの音楽を適当に流し、街中で流れる音楽とさして変わらない状況になることは果たして喜ぶべきことなのだろうか。

個人的にはサブスクのダウンロード時代になったって、新譜が出たらポタアンに繋いでヘッドホンで聴くのはやめないし、今だってCDを買ってフィルムを剥がし、プレイヤーに入れる瞬間はどこか儀式的なそれを感じてしまう。

やっぱり好きな曲を聴くんなら本気の環境で聴きたい。

この前はKing Gnuの『逆夢』を強めの音圧で聴いた。思い込みのバーナム効果かもしれないけど、やっぱりどこか普通に聴くよりも音が細かく聴こえる気がしてならない。

同期のnoteを書いている嵐が好きな子に、自分の本気の音楽鑑賞セットで曲を聴かせたらどんな顔をするのだろうか。

いっそオーディオ沼に引き摺り込んでやろうかしらと思ってしまう。オーディオ沼は、いいぞ……へへ……

とりあえず残っているウイスキー検定を仕留めてきます。

ではまた明日。おやすみなさい。

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