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コミュニケーション能力の高い人には2種類いる(2):仕事を真に進めたい人と、上司に迎合し寵愛を獲得しようとする人

少し前に、コミュニケーション能力の高い人には、その能力を仕事それ自体に向ける人と、自分のために向ける人がいる、ということを書いた。

その後者の人物像について、まさに自分が思い描いていたものとぴったり当てはまる内容が「韓非子」に書いてあったので、以下該当箇所の抜粋を掲載したい。

すべて、邪悪な臣下というものは、みな君主の心に迎合し、それによって君主に信頼され寵愛される状態を獲得しようと願うものである。そこで、君主のお気に入りの者がいると、臣下は追従してそれをほめそやし、君主の憎む者がいると、臣下はここぞとばかり悪口をいうのである。
いったい、人情の常として、好悪の感情が同じであればたがいに善しとして認めあうが、好悪の感情が異なればたがいに悪いとして退けあうものである。いま、臣下のほめるものが君主も善しとして認めるものであれば、それを同取すなわち好みを同じくするものといい、臣下の非難するものが君主も悪いとして退けるものであれば、それを同捨すなわち憎しみを同じくするものという。
そもそも、好悪の感情がそのように合致しているのに、仲違いをするというのは、まだ聞いたことがない。そこで、この好悪の感情を合わせるということこそ、臣下として君主に信頼され寵愛されるための方法なのである。

韓非子 第1冊(岩波文庫)

私の職場で起きたことを挙げてみる。上記の「邪悪な臣下」に該当しそうな人は、まず上司が嫌いであろう会社内外の者について「●●って本当に微妙な質問しかしてこないんです。だめですよね」とすり寄っていく。

そこで上司の反応が「いや、本当だよ。●●はしょうもない」みたいなものであればしめたものである。その後も●●を共通敵として、愚痴や不平を言い続けるのである。

もし●●に対する上司の評価が「いや、そうかな。自分はいいと思うけど」といったものであれば、そこでこの邪悪な臣下は器用なピボットを行い、それ以上悪口は言わない。

悪口を言わないどころか、次は●●に対するポジティブな話しかしなくなる。

こんなことが日常茶飯事で起きている職場で、私は我関せずであまり関わり合わぬよう目の前に仕事に集中しているつもりである。

だが、最近思い始めたのは、実は私はEQのレベルが相当に低い同僚・上司に囲まれて仕事をしているのかもしれない、ということである。韓非子でいうところの「邪悪な臣下」とそれにうまホイホイと乗せられてしまう上司が非常に多く目につくのである。

どうか私の関係ないところで勝手にやってほしいが、私が巻き込まれるようなことがないよう祈るのみである。


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