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ベンチャーキャピタリストから「日本のLP投資家はもっと”LP力”をつけるべきだ」と言われたが、これはどういう意味なのか

つい先日、日本の複数の事業会社や金融機関から資金を募り、米国でベンチャーキャピタルファンドを運用しているファンドマネージャーの方が来日し、面談する機会を得た。

その際、その方から複数の日本のLP投資家の課題をいただいた後、最後に「日本の投資家は米国のようにもっとLP力をつけるべきだ」とのお言葉をいただいた。

私は、「客観的事実は示さずに『日本ダメ、アメリカ正しい。すごい』理論を振りかざしてくる、脳内がまだ第二次世界大戦後のGHQ進駐軍と同じ発想のコメントか」と思って聞いていたのだが、最後の「LP力をつけるべき」という言葉につい反応してしまった。

なぜなら、私が「LP力」という言葉を聞いて連想してしまうのは、以下の通りだからである。

  • ファンドマネージャーが、自分たちLP投資家が預けたお金を適切に運用し、フィデューシャリーデューティーを全うしているか、きちとモニタリングする力

  • ファンドマネージャーに対し、きちんと自分たちLP投資家が求める財務リターン・戦略リターンを明治し、その通り投資活動が行われているかモニタリングする力

  • アドバイザリーコミッティなどにきちんと参加し、ファンドマネージャーが利益相反行為等の問題を起こしていないか、きちんとモニタリグする力

いずれも「自分たちLPが出した金を、ファンドマネージャーがちゃんと運用しているのか」を見る能力である。LP投資家がこの力をつけてくれば、当然のことながらファンドマネージャーとの間で健全な意味で緊張感が生まれ、真剣な議論が起こることが期待される。

私は過去、米国の超一流バイアウトファンドのLP向け年次総会に参加し運用成績に関するプレゼンテーションを聴講する機会があったのだが、超一流ファンドに出資するLP投資家たち(米国の各州の年金基金等の機関投資家)は、ファンドマネージャーに対し「この投資先A社はいつ退出するのか。そのタイミングの適切性は。なぜ今退出しないのか」「この投資先B社の評価方法はマルチプル法とのことだが、最新の類似業種株式における倍率が適時に反映されているのか」といった質問を矢継ぎ早にしていた。

確かに、米国のLP投資家は矢継ぎ早に細かい質問から大きな質問まで、次々とファンドマネージャーに対し投げかけていたことを思い出した。

日本の事業会社や金融機関が参加し、大した質問も飛ばずにファンドマネージャーと和気藹々となっているLP向け年次総会の風景とは全く違っていた。

だが、LP・GPの関係で見た場合、どちらが健全な関係を築けているのか、と考えれば、おそらく米国のLP投資家の事例だろう。

今まで、日本の事業会社や金融機関は、ベンチャーキャピタルに求める要求リターン水準も低ければ、財務リターン・戦略リターンに対してギャーギャー言ってこない、いわば扱いやすい「Silent Investor」として見做されがちだったのではないか。

私は、「日本の投資家は舐められているからLP力をつけろ」「俺たちファンドマネージャーとLPは真剣勝負だ」という文脈で、冒頭の「LP力」について言及してきたのか、と早合点し、「なんて殊勝で誠実なファンドマネージャーなんだ」といたく感心をした。

ところが、実際に「LP力とは何ですか」と聞いてみたら、まったく想定外の答えが返ってきた。

「LP力とは、我がファンドのポートフォリオ企業のバリューアップにLP投資家もきちんと貢献する能力を指す。LPももっと主体的に関与し、ファンドの投資先そしてファンドの発展に一緒に貢献していく、そんなことを考えている」

このあまりの自分勝手な考えには開いた口が塞がらない思いだった。

結局日本のLP投資家はなめられているんだなとつくづく感じた。「カネは出せ、うるさいことは言うな。けどファンドには(有限責任の範囲内で)協力しろ」と。

「LP力をつけるべき」という言葉に少しだけ期待した自分が馬鹿であった。そりゃ、今のままうるさくなくて金だけ出してもらえるままの日本のLP投資家の方が、都合がいいのだから、あえてそこを変えたい、なんて提案をしにくる殊勝なVCなんていないだろうな。

いずれにしても、こうしたベンチャーキャピタルにうまい具合に転がされるような投資家にはならぬよう、気をつけたいと思わされた出来事であった。


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