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世の中には自由に行動するより指示されるのが好きな人(含む自分)が沢山いる
オープンハウスの社長が以前言ってた。自分が指示されるのが好きでなく気づかなかったが、世の中には自分で考えて行動するより指示されるのが好きな人間が大勢いる。経営するうえで遅ればせながらそのことに気づいたことは重要だった。 https://t.co/TuZygV9JvE
— Takatsuki (@takatsuki_pe) January 10, 2023
上記のような投稿を見るたびにいつも思い出すのはエーンリッヒ・フロムの「自由からの逃走」である。
皆が自由になりたがっているのに、一度自由を手に入れるとそれが重荷となり、せっかく手に入れた自由を手放してしまう。なぜドイツ国民は自由を捨ててナチスに従ってしまったのか、という思考の過程が描かれている、あの歴史的名著である。
ナチス政権下のドイツ国民に限らず、せっかく手に入れた自由を簡単に手放してしまう、ということは日常茶飯事で起きている。
昔、営業部門にいた時、営業目標達成に向けプレッシャーのかかる日々が辛く、早く異動したいと思った時もあった。その後、ある程度裁量が与えられた企画関連部署に異動した際、上司から「自分の好きにしていい」と言われた。その時、私が感じたのは自由を手に入れた喜びよりも重圧だった。
恥ずかしながら、あれほど得たかった自由がこんなに重いものだと感じ、逆に目先の営業目標さえ、何も考えずにとにかく追っていればよかった営業部門が妙に懐かしくなってしまったことがあった。
昔、メガバンクの頭取とたまたまお話する機会があったのだが、その方はこんな風にぼやいていた。
「権限とは不思議なものだ。権限を与えると皆これを使いたがらなくなる。営業目標を本部が設定すると、営業店は『こんな押し付けの目標は高すぎて現実的じゃない。本部は何もわかっていない』と文句を言う。
じゃあ、ということで『営業店が自分自身で目標を立ててください』と言うと、『本部で設定すべき』という」
この「権限」を「自由」に置き換えてみたらどうだろうか。
「自由とは不思議なものだ。自由を与えると皆これを使いたがらなくなる。営業目標を本部が設定すると、営業店は『こんな押し付けの目標は高すぎて現実的じゃない。本部は何もわかっていない』と文句を言うので、『営業店が自分自身で自由に目標を立ててください』と言うと、『本部で設定すべき』という」
自由とは責任を伴うものであり、そしてその責任の重圧に耐えきれない人々が世の中には大多数いるのである。そうした重圧に耐えきれない人々が、自由を放棄し、自ら考えることを放棄し、他者に従うフォロワーとなっていくのである。