問題解決依存症
僕たちは、問題を解決してもらうことに慣れすぎた。
もっと言うと、それに依存していないだろうか。
近年は、社名や会社のキャッチコピーに「ソリューション」という言葉が入っているのをよく見かける。
直訳は、「回答」、「解決すること」というとで、お客様の問題を解決することが私たちの仕事ですよ、ということを言いたいんでしょう。
巷に溢れるビジネス書にもだいたい同じようなことが書いてある。書き方はいろいろだけど、概ね書いてることは、
「仕事」=「問題解決」
ということばかり謳われている。
消費者側の立場から見れば、「問題解決」の泉にどっぷり浸かって生活しているということになる。
マスクがない!消毒液がない!
今や全国的な問題である。
スーパー、ドラッグストア、ホームセンターなどでは、まったく入荷の目処が立っていないようだ。
転売も行きすぎてアホみたいなことになっていたり、医療関係者ですら手に入らなくて困っているという話。
たしかに、伝染病が流行っている今は、それらによって予防できたり、拡散防止になるのから、自分のためにも周囲の人のためにも、できるだけのことは、した方が良いのだけど・・・
かつては、納豆がそうだったみたいに
これってなんかね。
テレビで納豆が身体に良いと言われたら、翌日にはスーパーから納豆が消えるみたいなことと、同質だと思うんだ。
それにしても、異常事態。
なにがって、ウィルスの流行じゃなくて、すぐに必要物資の取合いになること。
平常時は、お金さえ出せば、すべて問題解決してくれる生活を送っている。
そう、冒頭で述べたように、「問題解決」に依存している。
問題が解決されないと、急に不安になる。そして、探索行動、取合い。
不安が不安を呼び悪気のある人も、悪気のない人も買い占め。
依存症ビジネス
「依存症ビジネス」という言葉をご存じだろうか。
法律で禁じられている薬物等は論外だが、ソーシャルゲームやアルコールなんかは、合法的に依存症患者を相手に、死ぬまでお金を搾り取れる。
パチンコなどのギャンブルは、法的にグレーだが、実質的には抜け道がまかり通っている。これも、やめられないひとのお金の使い方には、目も当てられない。
同じように、「問題解決」に依存している人からも、お金を取り続けることができる。(というのは、ビジネスをする側の虎の巻)
「依存」は、幸福を呼ばない
生活の中で気付いてしまった問題解決せずにはいられない人のことを、僕は個人的に「問題解決依存症」と呼んでいる。
問題解決能力がある人と、問題解決依存症の人は違う。
前者は、起こってしまった問題を、生活が快適になるように解決できる知恵のある人。
後者は、他人に煽られた「問題」を私自信の問題と勘違いして、解決せずにはいられなくなってしまう人。
毎日の生活の中で、「問題」は次から次へと沸き起こってくる。
それは、当たり前のことなんだけど、もう少しよく考えてみよう。
ひょっとしたら、誰かにでっち上げられた問題かもしれない。
自分にとっては、それほど大きな問題ではないかもしれない。
「問題解決」はすべきだし、良い言葉なんだけど、解決出来ないと気が済まないという依存状態になってしまうと、それは幸せな状態ではない。
問題解決に依存すると、物資の取合い、買い占め等も起きるし、自分ではなにも行動をしない割に、自分より大きな組織をただただ批判したくなる。
今、できることを冷静に対処していくことが、1人1人に求められているように思う。