「時間が無い」ってつぶやいた
僕は万年「時間が無い」という感覚で動いている。しかもそれは、あまり良いことではないという自覚もある。
これで経済的に儲かってるようなら「忙しい」というのは、自慢にもなるのだけど、お金にもならないのに忙しいというのは、偏に処理能力のなさを露呈するようなものである。
とにかく、時間の使い方が上手いか下手かということにおいては、自分は下手だということになる。
サラリーマンで決まった時間内で、周囲よりも成果が出せないという場合なら比較しやすいが、家族経営だと、どこまでが仕事か線を引くのもむずかしい。
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今日も長男に雑用を手伝って持った。
段取りと、仕事を教えるのは自分でやるより時間がかかる。やらせてみても失敗するし間違える。そこそこ出来るようになっても100点満点の成果は期待できない。それでも、ある程度流れがわかって自分で進められるようになると、その作業については、大変助かる。
これをやっていた今日の午後は、無駄だったのか、良い意味で忙しかったのか・・。
この辺の判断は、いつになってもうまくできない。
仕事以外にも、家族のこと、地域のこと・・・、やり始めると、なかなか休まる時間はない。
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時間管理に関する本等はいくつか読んだ事があって、一時期はそういう情報に習って、もっと細かくスケジュールをびっしり書き込んでいた時期もあった。事前に休憩や予備日もブッキングしてみたりしたが、いずれも上手くいかなかった。
そんな時に、「アンリ・ベルクソン」という名前を聞いて気になった。
『時間と自由』の著者で、フランスの哲学者である。
僕は空間的にスケジュール帳の空きを見つけて埋めていた。
ベリクソンはまさに、その感覚に一石投じたということのようだ。
時間とはなにかと聞かれたら、空間的に誰にとっても一律に流れている時間のことをイメージしてしまう。時間の使い方、気分、個人差に関係なく1時間は1時間である。
でも、その一方で、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうこともあれば、苦痛な待ち時間は異常なまでに時間が経つのが遅いという経験も、納得できる。
前者のように一律にながれている客観的な時間を「ニュートン時間」といい、後者のように自分1人の中で過去も未来も繋がっていくような時間を「ベルクソン時間」と呼ばれている。
ベルクソンは、このような時間が「4次元のようなものになる」ともいうが、僕には感覚的に全然理解出来ない。
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でもなんだか、少しだけ楽になれる。
客観的に見て、朝から晩までやらなければいけないことに追われている様子、そのことを、自分で勝手に「時間が無い」と暗示を掛けていたのかもしれない。
社会生活を送る上で、待ち合わせの時間を守るとか、納期までに仕上げるとか、そうやって時間管理することは必要不可欠ではあるわけだけど、24時間全ての時間を、他人との約束みたいに管理する必要は無い。
用事の合間の30分でできる楽しみは、自分の中でとても広がりを持つこともある。やるべき仕事に集中すると、空間的にたくさんの時間を消費しても、あっという間に感じることもある。
そうか、少し視点を変えたら、僕は無限に広がる時間の中に生きていたんだ。