スモールビジネスで水平分業化に抗う
かつて、企業は自社の製品を自社で一貫して製造していました。例えば、日立のパソコンは日立が全ての工程を担い、東芝のパソコンは東芝が手掛ける。それが当たり前だった時代です。素材の調達から、部品の製造、組み立てに至るまで、全てが一つの企業内で完結していたのです。
インテル、ハイッテルの時代
ところが、時代が進むにつれて、水平分業化が進みました。ひとつの製品が複数の企業によって作られるようになり、各企業が専門のパーツを製造して、それを組み合わせるという形が主流になりました。「インテル、ハイッテル(Intel Inside)」というキャッチコピーを覚えている方も多いでしょう。パソコンの中核を担うCPUは、どのメーカーでもインテルが供給していました。2000年代には、パソコンのモーター部品の8割は日本電産が作っていたと言われています。このように、最終製品は異なっても、その中身はほとんど共通化される傾向が強まっていったのです。
もちろん、消費者の低価格ニーズに応えようとすれば、この流れに抗うことは難しい。車産業も同様で、トヨタの車はトヨタが作り、日産の車は日産が作るという構造が、将来の電気自動車時代には、パソコン産業のように変わるかもしれません。
念珠や仏具も水平分業
私の商売の原点である念珠の製作も、仏具業界全体が水平分業化に進んでいます。仏壇製作には木地職人、塗師(漆職人)、金箔職人といった行程ごとの専門家が関わり、多くの人手を経て製品が完成します。この「分業」体制は、一見ありがたいもののように語られがちです。しかし、私はそう感じません。
水平分業は、行き過ぎた資本主義の典型例であり、労働者を都合よく使いやすい仕組みだと思っています。高度な技術を持つ職人が、独立したとしても商売が成り立たない状況に陥るのは、景気が悪くなると顕著です。大量生産が可能になり、価格が下がる反面、職人たちは価格競争の中で苦境に立たされます。
念珠製作もその流れにあります。糸は糸屋、木地は木地職人、房は房屋が作り、最終的な仕立ては専門家が行う。その後、製造元が卸し、販売専門業者が売るという仕組みが主流です。これは他の製造業と何ら変わりません。
分業しない強さ
しかし、私たち夫婦の念珠店では、仕立て以降の工程を全て自社で行い、玉の加工や房の製作も手掛けています。営業と職人が一体となっている点も珍しいですし、水平分業ではなく、縦軸全体に関わるスタイルは、江戸時代の商売に近いのではないかと思っています。
結果的に、時代に逆らう形で水平分業を避けてきましたが、今となってはこれが強みだと感じています。現在、「念珠の学校オンライン」という教室業も運営しており、そこで学んだ人々が念珠製作をできるようになりつつあります。
「インテル、ハイッテル」のように、私たちの念珠が他の念珠に使われる計画はありません。しかし、将来、私のノウハウが念珠職人たちの知恵のベースとなり、「長岡念珠店ハイッテル」という念珠が広がっていくことを願っています。それは、無形文化財のような形で私たちの技術が伝わる、そんな未来を想像しています。
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