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不甲斐ない別れ

北海道から青春18きっぷを駆使して福岡まで行き、博多港から沖縄にわたった20年以上前の旅の思い出話。

前回の記事はこちら。

前記事で、「70代の紳士」とタイトルを付けたおじさん。

出会ったのは博多発の船の中だけど、住所は長崎の人だ。

高級ホテルの一番安いメニューを食べ歩いては、箸袋やパンフレットをコレクションしている。

おじさんとの思い出話はもう少し続く。

手紙

僕は大学時代に色々失敗をして、人生設計が狂った(というか、設計などしていなかった)のだけど、それでもなんとか卒業して、一応人並みに就職もした。

それで、紆余曲折あったけど、今の妻と結婚するに至った。

結婚した年だったかな。
一人前になったような気になって、長崎のおじさんに報告したくなった。

しばらく間が開いていたんだけど、ここ2,3年に起きたことを手紙に書き連ねて送った。

いつも、まめに返信をくれる人だったのに、その時は、なかなか、返事は来なかった。

そして、数ヶ月後。

とても分厚い封筒が届いた。

飾り気のない白い封筒が、パンパンに膨れていた。
いつもなら、ちょっと気の利いた絵はがきを送ってくれたりするのだけど。

開封してみると、おじさんの生涯のことが長々と綴ってあった。
今まで沖縄のへ通ったたくさんのお話しを聞いてきたけど、それよりも遡って、子どもの頃からどんな人生を送ってきたのかが書いてあったんだ。

そして、最後に、もう自宅に帰るのは難しいかもしれないので、次からは、病院宛に手紙を送って欲しいということも添えられていた。

その頃、おじさんは80近い年齢だ。体調が悪くなることもあるだろう。

早く元気になって欲しいなと思いながらも、僕は自分の生活に追われていた。

届かぬ手紙

前回があまりに重く長い手紙だったので、僕は返事に困っていた。

手紙というは、単に文字数の交換ではないのだけど、同じくらいの熱量で書きたくなるものである。

その方針は、現在メールのやりとりにおいても僕は守っている。

今思えば、そんなくだらないこだわりのせいで、取り返しのつかない失敗をしてしまった。

言われたとおり病院宛にすぐに簡単な返事をすれば良かったのに。

結局、そこから1年以上は、手紙を送らなかったんだよね。
僕自身も、その頃職を失って、自分のことで精一杯だったりしたものだから。

いろいろ落ち着いた頃に、ようやく手紙を書く気になった。
また、期間が空いてしまったものの、前回の手紙があのボリュームである。
僕もそれなりの手紙を書いたように記憶している。

そして、問題は送り先だ。

おじさんは、次からは病院宛にということだったが、あれから1年以上経っている。

僕は、迷った挙げ句、自宅の住所を書いた。

退院していることを願っていたということもあるが、また入院していたり、そもそも長引いて退院できていないかもしれない。その場合、奥さんが現在元気なのかもわからない。

それでも、誰かしらが受け取って、本人に届くだろうと甘く見ていた。

しかし、長崎の自宅宛に送った手紙は、数日間後に、北海道へ戻ってきてしまった。

「あて所に尋ねあたりません」の印

もう、おじさんの家は引き払われていた。

電話

仮に、退院見込みがないとしても・・

(仮にというか、考えてみれば本人がそう言ってたんだ。甘く解釈していたのは僕の勝手)

退院見込みがないとしても、自宅を引き払ったということであれば、郵便物の転送先を指定するのが自然でしょう。転送先は病院ということになるか、頻繁にお見舞いにこれるような家族、親族ということになる。

しかし、戻ってきたということは、そのような手続きはされていない。

気持ちの整理が付かないが、「亡くなった」と考えるのが一番自然である。

それでも、確認もせずに納得できることではない。

次に僕が取った行動は、昨年の時点では入院していたはずの長崎市内の病院に電話をしてみた。

そして、「現在入院しているかわかりませんが・・」という前置きをして、おじさん名前を尋ねてみた。

しばらく待たされた後、電話口に戻ってきた病院の方は、「あの・・・患者さんとはどういったご関係でしょうか?」と逆に訊かれた。

そりゃそうだ。どこの誰かもわからない相手に、勝手に患者さんのことを話すことはできないだろう。

そうは言われても、僕とおじさんの関係を示す証拠は何もない。

一瞬、返事に詰まると、「ご親族の方ですか?」と追い打ちを掛けられた。

「いえ、親族ではないですが、知人というか・・」そうとしか、答えられなかった。

去年の手紙でこの病院に入院していると聞いたこと、そして先日、自宅宛に手紙の返事書いたけど届かなかったこと・・色々ごねてみた。

しかし、「申し訳ありませんが、患者さんの個人情報になりますので、お答えできません」という返事しかもらえなかった。

「もし、今入院されていないなら、退院されたんでしょうか?それとも亡くなったんでしょうか?」と食い下がって見たものの、やはり答えは聞けなかった。

悪あがき

それでも、何もせずにこの件を終わりにすることは出来なかったんだ。

たまたま、船で知り合っただけの僕に対して、自分の生涯をながながと綴って手紙をよこしたのには訳があったんだろうな。

最後の手紙には、あれだけ詳しく人生を綴っているにもかかわらず、現在の詳しい病状などについてはほとんど書いていなかった。

僕が知っている情報である、おじさんの自宅については断たれてしまった。
唯一連絡が取れる可能性があった入院先の病院は、電話での対応をしてもらえなかった。

僕は、もう一度手紙を書き直した。

そして、おじさんの名前を書いて封筒へ入れた。住所はない。

本人か、難しければ本人に関係がある人に渡して欲しいと旨のメモを付けて、それをもう一回り大きな封筒に入れ長崎の病院宛に送った。

* * *

その手紙は、戻ってこなかったので、病院までは届いていることだろう。

その後、中身は誰かに渡してもらえたか、誰にも渡すあてがなく、病院で処分されたかもしれない。

いずれにしても、その後、10数年経っても、だれからも返事はない。

これをもって、一つのけじめを付けるしかなかった。

もし、今もご健在であるならば、90代の半ばになるのかな。
ありえなくはない。

たとえば、息子さんなどの自宅に引き取られて、どこかで元気にしているかもしれないし、やはりあの時点で亡くなっていたのかもしれない。

何度振り返っても不甲斐ないと思うが、あの手紙が最後だったという事実は、この先、覆される可能性は極めて低い。

今生で再開するのは難しいかもしれない。

もう一度、どこかで会えたら、高級ホテルのレストランに行って、一番安いカレーライスを一緒に食べたいね。

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