【翻訳記事】少年漫画的勝利と敗北の美学、『ハイキュー!!』編集者【韓国インタビュー】
自分の韓国語の勉強を兼ねて、ウェブ上の気になるエンタメ記事を翻訳します。※問題あれば削除します。
今回は、漫画『ハイキュー!!』の歴代編集者3名のインタビューです。
http://www.cine21.com/news/view/?idx=4&mag_id=105126
씨네21という映画雑誌のWEBサイト記事より(2024.5.23.公開記事)
誤訳ありましたら申し訳ありません。意訳はあります。
【people】少年漫画的勝利と敗北の美学、『ハイキュー!!』編集者、本田佑行、池田亮太、東律樹
記:イ・ジャヨン
原作の連載序盤から長い縁を暗示していた音駒高校は、烏野高校バレーボール部が避けては通れない宿命のライバルになって、春高バレーで再会する。練習試合で敗北した烏野はその後、さらに進化したチームワークでボールに向かい疾走する。「しんどいけど、まだ終わらないでほしい。」ただバレーを愛する心で、明日の可能性を語る少年たちの世界は、今に全力を尽くすことで、大きな価値を得る。2012年から2020年の冬まで、8年半の間『ハイキュー!!』を連載した集英社『週刊少年ジャンプ』の編集者3名と書面で会った。『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』が持つ希望を探るため、一代目編集者本田佑行、二代目編集者池田亮太、三代目編集者東律樹に質問を送った。何かを愛する全ての人は結果的に成長する。簡単だが、どんな命題より重要な論理を証明するために、長い時間奮闘した人々の優しいまなざしを伝える。
ーー8年間の原作漫画連載が幕を下ろし、TVシリーズも4期まで完走しました。『ゴミ捨て場の決戦』劇場版制作が決まった当時をどのように振り返りますか。
池田亮太 2022年8月の『ハイキュー!!』イベントで劇場版制作の決定を発表しました。イベント会場にいた人たち皆が息を詰めていましたが、知らせを聞くやいなや歓声を上げました。そのとき全身に鳥肌が立ちました。その衝撃を忘れることができません。烏野と音駒は作中でも縁の深い学校です。両校の初公式戦であるゴミ捨て場の決戦を大きなスクリーンで見れるとは。期待が大きかったです。
本田佑行 とても嬉しかったです。劇場版は一部の作品だけに認められる貴重な舞台。それに、ひとつの試合をひとつの映画として作るのも『ハイキュー!!』の新しい挑戦でした。私たちの漫画を劇場まで導いてくれたのは、完全にファンのおかげです。
東律樹 やはりスポーツアニメを劇場で観るのは、唯一無二の経験。映画鑑賞より試合観戦に近い、劇場特有の経験です。映画館で『ハイキュー!!』ファンと一緒に劇場版を観たことは忘れられません。
ーー原作漫画の連載過程を側で見ていましたが、劇場版を観た時の感じは、また違ったことでしょう。初めて完成版を観た時を覚えていますか。
本田佑行 2種の感情が入り交じりました。最後のTVシリーズである『ハイキュー!!』4期が公開されてからずいぶん時間が経ちました。なので、満仲勧監督が演出した『ハイキュー!!』を見た時、私たちの『ハイキュー!!』が帰ってきたと感じました。また、TVシリーズとは違う、映画としての『ハイキュー!!』も感じることができました。映画が始まると、試合が一瞬にして流れていきます。その間に、興奮、感動、全ての感情が新しく迫ってきました。
池田亮太 圧巻そのものです。9×18mの四角形の中で、キャラクターたちがボールを追うために奮闘する。どこを見てもバレーの魅力がそのまま感じられます。また、実際に会場にいるような感覚を受ける細かい周辺の音、人物の息づかいなど、満仲監督と制作会社が神経を使った部分に驚きました。劇場の大きな画面と、高音質で体感すべき作品です。
東律樹 劇場版を見て家に帰る間ずっと、その余韻に浸っていました。「私は今、すごいものを見た…」という気がしました(笑)。劇場版でないと盛り込めないような動きや、試合の描写がスポーツの超人性に達したようでした。多くのファンが何度も観る要因のひとつだと思います。
ーー『ハイキュー!!』は、2012年から8年半もの長期間連載しました。日本ではこれまでも、多様なスポーツ物が、多くの人に愛されてきましたが、『ハイキュー!!』が持つ、他作品との相違点を生かすために、古舘春一先生とどのような議論を交わしましたか。各編集者の担当期間が異なるため、それぞれが掲げた戦略が異なるようです。
本田佑行 日本では目覚ましく素晴らしいスポーツ漫画がたくさんあります。作品が持つ美しい場面を見ると、真似したくなるほどです。その魅力に従えば、私たちの作品もかっこいいいものになりそうな錯覚を覚えますが、それは真似事に過ぎません。他の作品の長所を借りることは、最終的に作品を乏しくします。そのため、バレーという題材を通して、古館先生固有の才能を引き出し、この2つを最後まで信じることが重要でした。その結果『ハイキュー!!』のオリジナリティーが完成しました。
池田亮太 原作の力は、古館先生の執念から始まりました。『週刊少年ジャンプ』は、スポーツものを含む、さまざまな題材の作品を連載しています。多くの作品の中で、古館先生は『ハイキュー!!』がどの読者層に、どんな楽しみを与えるか悩んでいました。また『ハイキュー!!』は、日本の中学・高校の部活動を主に扱います。この設定を現実的に描くため、綿密な取材もしました。『ハイキュー!!』の中の人物たちの感情、ストーリが生き生きと伝わったのは、このような努力があったからです。その後、春高バレーとコラボしたり、作中に登場する仙台市体育館(現カメイアリーナ仙台体育館)で原画展を開いたりと、作品と現実がつながることなども注目されました。
東律樹 私が『ハイキュー!!』を引き受けた時は、エンディングについての議論の真っ最中でした。ただ、私たちがスポーツ漫画の中で、どのような位置に立ちたいのかは、特に悩んではいませんでした。『ハイキュー!!』の結末について『スラムダンク』以後の話のようだ、という論評を受けたこともありましたが、『スラムダンク』と差別化しようとする意図はありませんでした
。ただ、スポーツや部活動に対する古館先生の立場がオリジナリティーに自然につながるように念を入れました。
ーー今回の劇場版では、烏野高校と長い因縁のある音駒高校との春校バレーの試合を取り上げます。音駒の学生たちが初登場する原作3、4巻に盛り込まれたエピソードを話すとしたらどうでしょう。
本田佑行 当時、古館先生が話したライバルの構図が非常に印象的でした。スポーツ漫画のライバルは、一般的に倒すべき強敵のイメージが強い。しかし、古館先生は、ライバルたちが完全に対立するより、少しずつ近づきながら、切磋琢磨すると考えています。実際に、日本の高校のバレー部は、学校同士が集まってグループを作り、その中で練習試合をしたり、合宿をしたりします。この過程で親交を深めた彼らは、学校が違っても仲間のような一体感を持ちます。『ハイキュー!!』の世界でも、このような高校バレーの文化と先生間のライバル関係が合わさって、音駒高校が生まれました。物語の中で、黒尾と研磨が必要な理由もここにあります。学年もポジションも違いますが、彼らはお互いに友達であり師弟です。
ーー連載過程で、古舘先生と考えが異なる瞬間もあったかと思います。そういう時は、どのように話し合ったのか気になります。
本田佑行 本当にさまざまな場面でありました(笑)。けれど、十分に納得できる話し合いでした。作品をより良くするための過程なので、皆が積極的に取り組みました。最も記憶に残っているのは、宮城インターハイ予選で烏野高校が負けるということを、古館先生に初めて聞いた時です。私は読者の気持ちとしては勝利した方がいいと説得し、先生は「勝利は決して簡単なことではない」という事実を日向に悟らせるためには、早く敗北した方がいいと主張しました。結果的には、キャラクターたちが敗北を感じながらも、その経験自体が、次の勝利のための道だったことを知るように構成しました。古館先生は、いつも読者の正直な意見を望みました。私がネームを読んで「とても面白い」と言っても、「それは『ハイキュー!!』を好きな人の意見」だと言い、「『ハイキュー!!』が嫌いな、または関心がない人の観点で、感想をもう一度教えてほしい」と言っていました(笑)。
東律樹 意見が合わないことはなかったのですが、古館先生が迷った瞬間、励ましたことはありました。梟谷と狢坂の試合や日向のブラジル修行編、及川がアルゼンチン代表になることなど、先生が躊躇した瞬間ごとに、必ず見たいシーンだと応援しました。
ーーいつの間にか『ハイキュー!!』も、ピリオドを打ちました。8年間、それぞれ異なる時期を担当してきた編集者として、古館先生とともに呼吸を合わせた過去を振り返るとどうでしょうか。
本田佑行 私は古館先生と同年代で、会社に漫画を初めて持ち込んだ時から知り合いでした。私の人生で最も尊敬する人物を挙げろと言われたら、ためらうことなく古館先生を挙げます。側でで見守っていた先生の考え方と人生対する態度は、高潔で魅力的です。ところが、皮肉なことに、先生との記憶を思い出すと、ふたりでお酒を飲んだ場面だけが思い出されます(笑)。原稿以外は、一緒にお酒ばかり飲みました。
池田亮太 古館先生は作品を作る過程に妥協せず、自身に嘘をつきません。いつも今に真剣に向き合おうとする。そんな姿を見ながら、私も私にできることに妥協しない方法を学びました。古館先生とおいしいご飯を食べながら幸せな思い出もたくさん作りました。
東律樹 編集者として、そして社会人として、初めて担当した方が古館先生です。なので、感謝以外ありません。なんと言いますか、お箸を持つ方法から学んだという感じでしょうか。私は編集者としてとても不器用でした。私が認識していない失敗もたくさんあったと思います。けれど先生がいつも笑顔で温かく接してくれたので、前に進むことができました。音駒戦のクライマックスを見守った記憶が、未だに鮮明に残っています。原稿を取りに行った時、31ページにもなる原稿が完成する過程を見て、圧倒されました。古館先生とご一緒できて本当に幸せでした。
ーースポーツ漫画の人気は、そのスポーツに対する反応に現れることもあります。実際に『ハイキュー!!』の人気によってバレーボールをする学生がたちが増えたのか気になります。
池田亮太 親戚や友達の子どもが『ハイキュー!!』を見てバレー部に入ったという話をよく聞きます。また、作品が世に出て10年以上経ったために見える不思議な光景もあります。連載当時は日向と同じく高校バレー部だった人が、現実でプロ選手として活動中です。インタビューで『ハイキュー!!』から影響を受けたという話を聞くと、現実に与える漫画の力を実感します。
東律樹 『ハイキュー!!』が初めて連載された当時、高校生でした。漫画の人気が高まって、学生たちの間でも、バレーボールに対するイメージに親しみが湧きました。実際に春高バレーに出場するほとんどのチームのキャプテンが『ハイキュー!!』を引用しました。『ハイキュー!!』を読んでバレーボールを始めた人も、試合がうまくいかない時に『ハイキュー!!』に慰められたという人もいました。作品と、実際の選手たちとの心理的距離感がとても近いということを感じ、感動しました。
ーー最後に、劇場版を見た人たちに『劇場版 ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』を通してどのようなメッセージを受け取ってほしいですか。
本田佑行 シンプルです。バレーボールがどれほど面白いか感じてくれたら嬉しいです。作品の中には、古館先生と劇場版のスタッフたちが考えるバレーボールの魅力が繊細に盛り込まれています。この中で、どのように物語を受け取ったかは、後で観客たち自身の話を聞かせてほしいです。
池田亮太 バレーボールの経験がなくても、共感できる部分がたくさんあります。登場人物の関係性や、それぞれの信念が表れるセリフ、スポーツの面白さ、青春に満ちている部活の活気など、楽しむ要素は多様です。何度鑑賞しても、毎回異なる面白さとメッセージを受け取ることができます。観客の方たちには思うままに楽しんでほしい。ただ「点を獲るのに近道が無い」という日向のセリフのように、自分の人生に反映できる良いメッセージを捉えてほしいです。
東律樹 必ずしもバレーボールでなくても、何かのために鍛えた身体的・心理的な筋肉はいつも美しい。月島の言葉のように、部活動はただ履歴書の一行のための活動かもしれません。でも、全力を尽くす行為そのものは、人生に大きな意味を与えてくれます。バレーボールに向かって疾走する子どもたちを見ながら、観客に自分が好きな何かを思い出してほしいです。それを好きなことを誇らしくなるように。
私の視線を奪った場面
本田佑行 まず映画の冒頭で、ゴミ捨て場の決戦を待つ大人たちの姿が印象的でした。実際、この作品を長い間待っていたファンたちの姿と重なって見えたりもしました。試合が始まって最初のプレーも良かったです。ファンたちにはなじみのあるBGMを背景に現れるフルサーブは『ハイキュー!!』が帰ってきたと宣言する感じでした。心が震えました。それから、ラストプレー。まだ映画を見ていない観客のために詳細は言えませんが、劇場版でしかできない挑戦的なシーンでした。異論のない名場面です。
池田亮太 日向と研磨、月島と黒尾の戦いが描かれるシーンが頻繁に思い出されます。原作で音駒は2巻の最後で登場して33巻で初めて全国大会で烏野と公式試合をします。そこまでに2校は、練習試合、合同合宿をして、関係を築きます。ライバルであり友達という奇妙な関係の2校は、最終的に、勝負へと進みます。10代の青少年の情熱と活気を感じることができる高校部活動の集大成のように感じられます。そしてやはり、ラストプレー。圧巻です。
東律樹 3セットの黒尾が「ハハッ」と叫ぶプレイシーンがあります。スポーツに没頭した時、自分の体を高度に操っているという気がすることがあります。いくら疲れていても、反応の正確度が高くなる感覚が作品の中に鮮明に表れる。このような経験をスポーツアニメで触れられる機会はそれほど多くありません。
歴代編集者さんにじっくり話を聞くインタビューは初めて読んだので面白かったです。『ハイキュー!!』は本当に大好きな作品で(なのに劇場版はあまり自分には刺さらなかったのですが)、その魅力を改めて感じました(ちょっと泣きそう)。続きもアニメ化されるかな~。
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