193:しあわせになんてならないで
・最近結婚する友人が増えた。
・これから自分という存在が、彼らの世界から徐々に薄まっていくのだろう。
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・自分の根本の性格は寂しがり屋である。
・元々学生の頃なんかは、常に誰かとずっと遊んだり電話したり、それは新社会人の頃まで続いた。
・自分の人生が推移するのと同じく友人の人生も当たり前のように推移していて、だから時の流れと共に関係性が自然になくなる友人もいる。
・例えば新卒の会社の頃の同期たちとはかなり仲が良く連日連夜語り合っていたが、今でも仲良くしているかどうかといった観点でパッと思いつくのは1人。彼とも四半期に1回程度しか遊んでいない。
・他にも何人かはいるが、半年に1回遊ぶか遊ばないか、くらいだろう。
・自分の世界における他者というものは、ひどく不安定な存在である。
・いついなくなるかわからない。依存しすぎると、自分がダメになってしまう。
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・寂しがり屋であるが故に、自分は何かに依存していないと自分を保つことが出来ない。
・他者という不安定な存在に身を委ねることが怖くなった時、依存先を人間ではなくする必要があると思った。
・そこで、創作活動に依存することにした。
・創作活動というものは自分がやろうと思えばできる、安定した確かな概念である。
・自分は死ぬ瞬間まで創作活動をやり続ける。創作活動に縋り続ける。
・そう決めてから、創作活動に没頭するようになった。
・創作活動に夢中になった。仲良い人の誘いを蹴って創作活動に打ち込むようになった。人と会う時があったとしても、創作活動のことが頭にチラつくようになった。
・気狂いになった。
・創作活動は見事自分を満たす安定剤としての昇華を果たした。
・先のことはわからないし不安はあるが、一旦の創作活動に打ち込むことで虚ろな安心感を覚えることができるようになった。
・あるいは、自分の脳みそがそう認知するよう自分で仕向けた。
・依存先として正解であった。
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・一方、コミュニティの中で生きるという行動をめっきりしなくなった。
・友人からの誘いを断っていたのは、根底としてそもそも何度か誘いを断った程度で破綻するようなものではない人間関係を築けていると思っているからである。
・またそうではない人からの誘いは、そもそも時間をかける意味が無いので別にどうでもいい。
・と思っていたのだが、今年度に入ってから仲の良い友人たちが結婚し始めた。そこまで行かずとも、恋人を持つ者は多い。
・自分は常々人間関係には恵まれていると思っているが、それは自分の周りの者たちは基本デキた人間なのだという考えのもと思っている。
・だから、結婚したり恋人がいたりする、というのは全く疑問がない。彼らのような徳の高い人間に惚れる人物がいるというのは、当たり前だ。
・ただ、視点を変えてその彼らの世界を想像してみると、生涯の伴侶を見つけているということは、彼らの中では伴侶の方が自分よりも優先事項の高い存在なのである。
・当たり前なことを言っているのはわかっているが、改めて思う。
・そうして、彼らの中から自分という存在はどんどん薄まっていくのだと思う。
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・一度創作活動に依存し安心感を得たはずなのに、最近は寂しさや人肌を恋しく思う瞬間が増えた。
・寂しがり屋であるのと同時に恥ずかしがり屋でもあるので、もはや誰かの世界に自分など存在しなくて良いと思っていた。
・そのはずなのに、1人でいると虚無感を覚える。
・人と関わるのはもういいと思っているのに、寂しさがある。
・そんなアンビバレンスな感情が、ぐるぐる渦巻いている。
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・ただただ彼らと過ごした青春が恋しい。
・おそろいの歩幅のままどこまでも歩いていけると思っていた。
・もっとずっと楽しいことが彼らの目の前で溢れ出している。
・それはきっと全部輝いていて、彼らの未来そのすべてが嬉しいけど、寂しい。
・だから、心の中で言う。
・しあわせになんてならないで。