163:生きてるだけで偉い??
・そんなわけないだろ。
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・最近のSNSはシンデレラが多いというか、「自分の弱さを聞いて励まして欲しい」ような内容の投稿が多くあるように感じる。
・「就業初日から寝坊した」「会社を辞めて親のすねをかじっている」「自分は社会不適合者だから馴染めない」「私は悪くない」「〇〇が悪い」「私は障害を持っているのかもしれない」
・つぶやくこと自体はまぁ勝手にすれば良い。だが、それに対する共感や励ましの声が多いことに違和感を覚える。
・世の中には生きるために頑張っている人がたくさんいる。
・「生きるため」という目的の定義は人それぞれで、家族のためだとか、会社のためだとか、生活を良くするためだとか、あるいは夢のためだとかいっぱいあると思うので、そこに関する言及は今回はしない。
・が、とにかく多くの人は「果たさなければならない何かしら」のために、やりたくないことであったとしても頑張っている。
・自分だっていろいろなことを怖がりながら頑張っているつもりだ。
・そんな中「できない自分」自慢をし、そこに多くの興味関心が集まり、励まされている構図をみると、とても腹が立つ。
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・職に貴賤はない。
・そして金を稼ぐ方法などは、取捨選択をしなければいくらでもある。
・その形が労働者であったとしてもそうでなかったとしても、「金を稼ぐ」ということは即ち「経済を回す」ということである。
・「経済を回す」ということは社会を成り立たせる一助となる行為を指しており、それが仮に私的な利益の追求だったとしても、アダム・スミスによるとそこには神の見えざる手が働いておのずと調和が生まれ、巡り巡って社会全体の幸福の実現につながるという考え方もある。(世界大恐慌で機能しなくなったという論もあるが、あくまで考え方のひとつの引用ということで許してくれ。)
・まぁそんな小難しいことは考えなくても、世の中の人を大別すると何かしらで「頑張っている人」あるいは「頑張って何かを成した人」が多くを占めているはずだ。
・その中で「無能自慢をすることに興味関心が集まり、あろうことか慰めの声が多くある」という一連の流れをみると、その流れにのっかっている全員をぶん殴りたくなる。
・そこにかかわっている人すべてに対して、恥ずかしくないのか?と思う。
・「できないことでヨシヨシされる」など許されるのは、せめて学生までだろ。
・内輪でネタとして披露する程度であれば別にいくつになってもやってもらって構わないが。
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・そういうことを思ったので記事として綴ろうと思ったのだが、いざ取り掛かってみるとなんだか自分の感情をうまく言語化できなかった。
・なんというか、根本的に「頑張らない人」が嫌いなのだ、自分は。
・「生きているだけ」の奴なんか、本来世の中にとって邪魔でしかないだろ。なんかしろよ。「偉い」の対義語の存在だ。
・クソだせぇ。
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