赫奕たる夏風8 六章 居酒屋ぎうん
1
岐雲園は、お客様の多いお屋敷でした。
粋人で知られていたお殿様は、永井芥堂の雅号でご友人方とお歌や漢詩、書画をやりとりされておられました。
ご友人はみな、幕府時代のご同僚や、幕末期に浅からぬ誼をむすんだかたがた。明治政府や財閥系の大会社で要職についておられるお大尽も多く、中には徳川とは相敵対した仲である薩長の志士や、爵位をお持ちの方もおられました。
兵どもがゆめのあと。
どなたも、玄蕃頭様のお人柄を慕ってのご訪問でした。
お客人の時も、お殿様はご自分で拵えられたお膳とお酒でおもてなしされました。
お料理を楽しみに足繁く通われるお客様も、中にはいらっしゃいまして。
2
「おう、今夜の居酒屋ギウンのおすすめはなんだい。……おいおい鮎じゃねえか、塩あてて焼くのかい、こいつぁ大当たりだぜ。おしまさんよ、途中でシジミも買ってきたからよ。こいつをちょいと薄めの醤油でサッと煮てよ、つけておくんな」
「ほうら言ったとおりだろ。今夜はいいお魚の日だから、カツオがすみだ川を登ってくるだろうってね」
「てやんで、おれっちカツオかよ?こちとら脂なんざアとっくに枯れっちまってンのよ?おお、これは奥方様。お久しゅうございます」
「まあ勝様、いつも大変お世話になっております。これおしま、ご無礼ですよ」
「あいすみませぬお方様。さあさ早いとこ、そのシジミをお寄こしな、鰹節のダンナ様」
夕餉の頃合いを見計らい、縄徳利ご持参でやって来ては、いつもご挨拶より先に台所をのぞいていかれるのは、氷川の勝様でございました。
「おお勝か、良い所へ来たな、今宵は鮎よ。ちょいとな、この漬物樽を動かすから待っておれ」
「あああダメですよ先生、そんな力仕事はこの、安房の阿呆の勝めに任しておくんなさい。そんなんじゃね、お腰をやっちまいますからね」
「年寄り扱いするでないぞカツオめが」
「いいえ御前、素直にお願い申し上げればよろしいのですよ」
「仰るとおりでっさ奥方様。はい、あらよっと」
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勝麟太郎翁、勝海舟さまでございます。
江戸城無血開城会談における尽力でご高名の勝様は、玄蕃頭さまが長崎海軍伝習所にいらした頃の最初の教え子のひとり。
共に日本近代海軍創生期の立役者であり、開国派幕閣の尖頭としてあい並んで奮戦し、忌憚なき意見を交わしあい、信頼し合った仲だそうでございます。
当時は元老院議員をお辞めになって、
「おれっち天下の風来坊さ」
などと仰っておられましたが、旧幕閣派の代表格にして体制との間を取り持つ重要な人物。明治政府中枢に多大の発言力を持つ方だったのは間違いございません。
向島では、ただの愉快な「鰹のオジサン」でしたが。
お客様がおいでの日は、お殿様は深更までお酒を交わされました。たいそうご機嫌で笑いあったり、低いお声で話し込まれたり。
特に勝様がいらした夜は、大抵そのままお二人板座敷でごろ寝して、昼近くまで起きてこないのが常でした。
お方様と母も心得たもので、
「今夜は氷川様ですから、明日は朝からお風呂をわかしましょう」
「合点です。全く、たいした小原庄助サンときたもんだね」
と笑いあい、夜更けの頃合いを見て囲炉裏の隅にお布団をご用意するのでした。
翌朝遅く起きてお風呂に入られ、ほとんど昼餉に近い朝餉を召し上がりながら、
「違ぇんだよ、くれはっち。朝まで呑んで昼まで寝てヨ、ひとっ風呂浴びたあとでかっこむお前ェのおっかさんの味噌汁はよ、そりゃあもう日本一なんだぜ。メぇリケンまで行ってきた俺っちが請け負うぜ、オイ」
「何を言ってんだい氷川さま、ならそいつは日本一じゃなくって世界一ってことさね。メリケンなんぞにうまい豆腐の味噌汁があってたまるかい」
「そりゃ違ぇねえや、ハハハ!」
身分は違えど、勝様と母のおしまは江戸っ子どうし。後に勝様が伯爵に叙任されたあとも、勝様のべランメェと母の憎まれ口は何も変わらずでございました。
後年、私ども母娘は、氷川翁…勝伯爵に多大の御恩を賜ることになるのでございます。
3
ですが、勝様のおいでを誰よりも楽しみにしているのは、夏様でした。
「Good afternoon 、勝様!」
「Good afternoon princess 夏!How’s going ?」
「Everything going well, thank you (すべてつつがなく。忝うございます)! 勝様ようこそいらせられませ。夏の新しいご本はございますか?」
「おまっとさんでしたよ夏姫、先週横浜に着いたばかりの、ピチピチのアメリカ本だ。縁側に積んできたから、お好きなのからお読みなさい」
「ありがとうございます!」
「英語の挨拶もずいぶんと板についてきたじゃねえか。勉強ははかどってるかい?」
「はい、先回英国から届いたグリムブラザーズとアンダーセンの英訳は、もう全部読んでしまいました」
「ほんとかい、そりゃアてえしたもんだ。ひょっとしてお前エさん、先のに入ってたGulliver's Travelsなんかも、もう読み始めてるのかい?」
「はい。エゲレスの空想物語に日本が出てくるとは思いませなんだ。ずいぶんおかしな日本でしたが、それはそれで大変面白うございます」
「こりゃたまげた。もうそこまで読み進めちまってるのかい。オーマイグッネスだ」
「Not so biggie、pardon me(大したことではありませぬ。ご前失礼いたします)。来いくれは、新しいご本を見に行こう!」
「…ビギーだってよ、何の本で覚えやがった。とんだお姫サンだぜ」
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外国の新聞・書物のほとんどを、玄蕃さまから依頼を受けて勝様がお手配されておられました。
お立場上海外とやり取りする事も頻繁な上に、勝様ご自身もアメリカに渡られた経験をお持ちでございますから、お殿様は大変頼りにされておいででした。
「いつもすまぬな、勝」
「こんなアお安い御用でござんすよ。それより夏姫だ。お顔も中々の別嬪さんだが、あのおつむの出来ったらどうだい。流石は永井玄蕃頭の一の姫だ、おそれいった」
初鮎の頃合でしたら、きっと勝様は静岡で始められた茶畑の初摘みを、お土産にご持参されましたでしょうか。
お夕膳前にのんびりと、美味しいお茶をお二人で喫されておられたことでしょう。いつも、縁側でお庭を眺めながら談笑されるのが常でしたから。
「外国語は、夏には遊びじゃよ。英国からのPrimayGrammarはあっという間に独りで修めてしもうた。先に漢文が読めたから、英語もわかりやすかったんじゃろう。フランス語のほうは難しいかと思ったが、男女詞や英語にない時制などもかえって面白がっておる」
「昌平坂の教本を暇に任せて読んじまったとか聞きましたぜ。そりゃあ、子ども用の絵本なんかじゃ物足りねえはずだ」
「読んで考える力は、わしも舌を巻くときがある。ま、そのぶん算術はちと…いやかなり不得手じゃがな、それもまあよいじゃろ」
「数字に強いオンナは、色気がネェからなぁ」
受け取ったばかりの本と愛用の英和辞書を東屋に運び込み、一心に読みふける孫娘を、玄蕃頭さまは穏やかなまなざしで眺められました。
「問題はconversation じゃ。読み書きができても、話す相手がおらぬでは、真の上達には程遠い。ただでさえ我々日本人に西洋語の発音は難しいからの。勝が英語で話しかけてくれるのは,大変ありがたい」
「俺のは、メリケン水夫に鍛えられたロスの下町弁ですからね、玄蕃様みたいな英国貴族仕込みのキングスイングリッシュなんかじゃねえ。妙なクセがつかないといいが」
「なに、相手の言うことが解って、こっちの言いたいことが伝われば、言葉なんてのは十分じゃよ」
「相手の言葉で懐に入って、要所で外国を絡め取る。永井玄蕃頭往年の真骨頂だ、懐かしいね」
「静岡の茶はウマイの」
「けっ、かなわねえや。そりゃウマイに決まってらあ、玄蕃様に持っていくお茶だと言って、金サンにイイトコをくすねさせましたからね。今年の一番摘みですよ」
「中篠どのか。精鋭隊の皆皆、元気でやっておられるか」
「ええ、みんなのおかげで、なんとか茶の生産も形になってきました。中篠さんがうまくまとめてくれましてね。
しっかしあの剣鬼ども、朝から果し合いみたいなおっそろしい顔で茶畑に一列に並んで、<精鋭隊、出ル> って茶っ葉ァ摘み始めンだ。ありゃア、どうにかなんとかならんのかと」
「後でお礼の文を書こう、よろしく頼む」
「ガッテンです。そうそう、さっき榎本さんとこに寄ってきましたよ。ヤッコさん留守だったけど、岐雲園にいるって伝えといたから、きっと明日あたりこちらへ顔を出すんじゃないですかね」
重鎮として皆から一目置かれる存在の勝様でしたが、一方では「二君にまみえし」、つまりは徳川政権から明治新政府に鞍替えした裏切り者というそしりも、世にはございました。
幕府の生き残りを図りながら、薩長と通じて徳川に引導を渡したのは、他ならぬ勝自身だったとする説もございます。
本当のところなど、私が知ろうはずもございません。
けれど、明治の世で勝様が真にお力を入れておられたのは、旧徳川幕臣およびその家族への新生活支援策でございました。
不平士族の反乱は、西郷隆盛の西南戦争でようやくひと区切りついたかに見えた頃でした。
主君徳川というあまりにも大きな屋台骨と、文字通り職を失った旧時代の士族数万人。彼らが食い詰めることで新政府への不満分子となり、再びの動乱の種とならぬよう、また行政官として優秀だった旧幕閣人材を活かし、新体制が一刻も早く円滑に運営できるよう、経済的・社会的支援と援助に、勝様は私財を投げ打ち、日本中を忙しく駆け回っておられたのです。
たとえば、十三代将軍・徳川家定公の時代より剣術指南役として仕官し、幕末には慶喜将軍の親衛隊・精鋭隊隊長をつとめた、中篠金之助さまという瑞代の剣客がおられました。江戸開城の折、お腹を切る寸前のところを勝様に説得され、隊員家族二百名と共に慶喜公に従って駿府に移り、勝様の肝いりで旧隊員皆でお茶の栽培を始めたのが、今の御茶処・静岡県の始まりだそうでございます。
玄蕃頭様も、岐雲園に落ち着かれた際、勝様のご支援を受けた経緯がございました。
もっとも、勝さまからのご支援にあたり玄蕃頭が望まれたのは、夏さまのお父上であるご子息・永井岩之丞様の仕官安堵と、亡き忠友・岩瀬忠震様が愛した岐雲園の保全。その二つだけだったそうでございます。
ご隠居後には勝様のご依頼で、勝様管轄の旧徳川所領土地・建物の現地視察・管理等のお仕事も請け負っておられました。
旧幕臣時代の財産をほぼすべて失われた玄蕃様には、明治政府からの少ない年金とともに、貴重な収入源であられたかと存じます。
勝様のお力添えで新時代に活路を見出した旧幕臣は、それこそ数知れず。 勝様ご自身は、薩長主体の明治政府とは心的距離を置いておられたようですが、それでも施政中枢、伯爵という地位にあり続けたのは、ただその一点のみの為だったかと。
幕末には敵対した薩摩長州・朝廷が立てた明治新政府の安定を、敗者・旧幕閣の勝様が支えておられたのでした
4
「お夏っちゃんを留学させようとはお考えですかい」
「夏は望むだろうが、難しいじゃろう。この永井の縁の者ではな」
「……もう、十数年が経ってますよ」
「かわいそうだが、夏の父の立場に障りとなってはいけない。そなたの尽力が無駄になってしまうのは、避けねばならぬ」
「……」
永井玄蕃頭が何をあきらめたのか。
勝様はそれ以上深く入り込もうとはしませんでした。
その優しさと気遣いに、玄蕃様は目元の皺を寄せ微笑まれたのでした。
「おもしろいものよ、子供を教えているようで、実は教わることのほうが多いのだ。あんなに必死で考え、働いていた十五年、二十年、いやもっと前…。儂らが何を見誤り、何を間違えたか、お夏がいちいち教えてくれる」
「ほう、夏っちゃんが何を?」
「時勢を見据えて仕事をするのに、男も女も関係ないってことさ」
勝様をまねて、ニヤっと笑ってみせました。
「夏とくれはを見ていてつくづく思うのだ。おなごは男児よりモノごとをより広く見、もう一歩深く掘り下げて考える。周辺の細かな情報に気づき、幾手先の見通しをたてるのも、それにしたがって課題をやり遂げるのも、おなごはよほどしっかりとしている」
「確かになあ、アンくらいの歳だと、寺子屋で顔と腹とケツに落書きして叱られてンのはまず男のガキどもだ。ちげえねえ」
「儂ら男が、いかに女をみくびってきたことかよ。
お主もよう知っておろう、阿部のご老中じゃ。家格身分に関わらず広く意見を募り、町人や我々部屋住侍にも仕事をくださった。あの時代に能う限りの働きをさせていただけたこと、この玄蕃感謝してもしきれぬ。
だが、まことに見識を求めるのならば、女にも広く問うべきだった。男と同じ学びを与え、男と同じく登用の道を開くべきだったのだ。あの阿部殿ですらそれに思い至らなんだことが悔やまれる。
なんせ、あのころの幕府ときたら、ひどい人手不足じゃったのだから」
「実は俺もね、もし<あの>時、天璋院様が表で指揮を執っておられたなら一体どうなっていただろうと、思ったことがありますよ。あのお人は天下の趨勢を見極めておられた上、人をまとめあげる生来の気迫をそなえた豪傑だ。きっと、ずいぶん違う目が出たんじゃないかってね。
……もっとも、滝山のオバちゃんは、アリャ中身はほぼ男でしたがね」
「必要なのは学びじゃ。男として、女としてのではない。人としての学びじゃ。夏とくれはにはそれを授けてやりたい。儂があの子らに残してやれるのは、それしかないからの」
蜩(ひぐらし)と、河鹿(かじか)の声と。
岐雲園の一番美しい、夕景の刻が近づいておりました。
「____西郷さんの、名誉をネ。どうにか、戻してやれねえかって。そう思ってるんです」
「……そうか」
「あの人があそこまでせざるを得なかったってこと、薩摩の連中はみんなわかってたんですよ。わかってて、切り捨てた。よくある話だ、ほんとによくある酷デエ話なんだ……
永井玄蕃頭を切り捨てたのと、何もかわっちゃいねえんだよ」
「あのお人の死は、わしには眩しいよ」
竈の煮炊きする匂いと、台所の水の音。
まな板と包丁の音。
クレハ、ちょっと手をお貸しなと、母の声が聞こえてくる頃合いでした。
「あんたが箱館を生きて帰ってきてくれて、心底うれしかったですよ。おれはね」
よっこらしょと立ち上がり、勝様はニカっと笑いました。
「さーて夏姫!勝めと一本お手合わせ願いたい。いずこにおわすか?」
「勝様、ここに!ご指南賜ります!」
「よっしゃ、直心影流免許皆伝勝カツオ。お相手仕る。かかってきやがれ夏坊!」