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治るって何だ?〜まずは一旦、全部忘れるところから〜
2021年の秋頃から22年の春にかけて、久しぶりに皮膚炎の悪化が長く続いた。いつもなら治まるはずの炎症がなかなか引かない。顔も首も真っ赤、今までにない感じの症状が出たりもあって、だんだん不安になっていく。
「一体どうやったら治るんだろう?」
病院嫌いだけど今回は素直に行ってさっさと治そう、と、早々に病院に行った。飲み薬と塗り薬で最初は症状が落ち着いたものの、飲み薬を続けたことで副作用の湿疹が出て(飲むのをやめたらすぐ引いた)、塗り薬も効かなくなっていった。
「やっぱり薬は、抑えるけど治らない」。
抑えるのではなく、根本から治さないとダメなんだ。西洋医学ではなく、自然療法を施しているところに行きたい。でも、どこに行けばいいのかもわからない。
原因は、何なんだろう。
どうやったら症状が抑えられるのか。
自分の何が悪いから、こうなってるんだろう。
何が悪いんだろう。
私の、こんなところが悪いのか。あんなことが、悪いのか。
何が、悪いのか。
ぐるぐる。
ぐるぐる。
と
ループして、ループして、心底、疲れた。
ちょっと調子のいい時には気楽に考えられるようなことも、体調が悪いと、思考もどんどんどん底に落ちていく。気持ちも、アップダウンを繰り返す。
かなり落ち込んでいた。
それで、思い出した、以前友人たちが話していた、整体院のことを。
「憑いてますよ」とか、そういうことを言ってくる先生で、友人たちが言われたことを面白おかしく聞かせてくれ、興味はあったものの行くまでには至っていなかった、怪しい整体院。そういうのは嫌いな方じゃないので、まさに藁にもすがる思いで受診することにした。皮膚炎の症状を抑えるために、根本的な体のベースを整えていきたい、と。
その時の詳細は「顔問題シリーズ」
に書いた通りなので省略するけれども。
結果、そこに通っても治ることはなかった。
初回は、行った後に症状が引いた感じがあって「良くなった感」があったのだけれど、その後は実感として感じられることはあまりなく。ただ、自分の症状に対する考え方などを忌憚なく話せる先生で、否定しない方でもあり、いろいろ話せることで、かなり気持ちは軽くなった。
そして、治らなかったことで、変な話「やっぱり自分で治すしかないんだな」ということに腹を括れた、という感じ。
この時期、時折浮かんだのが「治るって何だろう?」という言葉。
西洋医学の場合、特定の原因を突き止めて、その部分に対処することで症状をなくすことを「治る」としているように思う。
自然療法的な考え方って「なぜそうなったのか?」にスポットを当てて、発症している箇所だけでなく全身、全体的な要素から、その不調に向き合うイメージ。
もちろん、人によっては単純に原因物質を取り除くことで、あっさり不調が治る例があると思う。
けれど、今回の体験を経て思いを強くしたのは、私の場合においては、皮膚炎の原因はものすごく複合的なものなのではないか、ということ。
住環境・年齢・体質・化学物質・添加物・電磁波・タイミング・ストレス…
ストレスにも、さまざまな由来に依るものがあると感じる。今回の発症には、コロナ禍による色々な変化も、大きく影響しているのではないのかな。
スピリチュアル的なもの。過去生とか何とか、そういうことを教えてくれた人もいた。土地の因縁みたいなもの。
また、個人の体験というより、地球規模の大きな変容の動きの一環、みたいなことも影響があるように思う。
ざっと考えてこんなことが浮かぶけど、そんなこんなで弱っているところにちょっとした負荷がかかることで、溢れてしまうような。体の循環機能が滞って、炎症してしまって、私の場合皮膚に出てくるのではないのかな。
だから単純に、何かひとつをやめるとかやるとか、そういうことだけで解決するものではないようだと思っている。
そんな風に考えると「治る」ということに対する考えも、自ずと変わってくる。
一時的に症状を抑えたり見えなくしたりすることではなく、もっと根本的なところで体を快適に整えていく感じ。逆にその整え方を知ったら、多少の症状にもぐらつかない自分でいられるような。自分の心身の特性を、自分で知るということ。
そう、自分の体と快適につきあっていきたい、気持ちよく。
望みはそういうことなんだ。
誰かや何かに治してもらう、ではなく、自分が向き合っていく、ということ。
どうありたいか、を自分で決めて、自分で癒していく。
その上で、必要な人の助けを得ることもあるし、何かしらの療法やツールに頼ることもあるだろう。
でもまずは「自分がどうしたい」の、ベースありきなのだ。
思えば、こういう発想に切り替えることが、ある意味難しかった。「自分で治せる、自分で治す」なんて発想、なかなかなかったから。
でもまずは、根本的な考え方を、変えていく時。
おそらく、自分は何でも知っている。
自分に必要なものに対しては、ピンときたり、いい感じがしたり、淡々とした思いでいることができる。
けれど、何となく違和感を感じたり、詰まりのある感じ、すっきりしない感じというのは、自分の中の何かが「ノー」を出しているのだ。
大切なのはこの、自分センサー。
もう、根拠とか過去の実績とか数値では、測れない世界。
「自分はどう感じているのか」
すべての起点は、そこなのだってこと。
だからまずは一旦、過去を全部忘れるくらいの気持ちで。
そこから、始めていくことだと思っている。
まずは一旦、全部忘れるところから。